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プロジェクト完結 〜セントラル・ラジチャレ第2戦〜


もうこれまでに何度も書いてきたことですが...


今からちょうど10年前。おとーさんは40歳を目前にしたアラフォーのオッサンでした。ただ,年齢的にはアラフォーでも,精神的にはもうすっかり老人みたいなオッサン。

というのも,やりたい研究のためにがんばって海外まで行ったものの大した結果が出せず,帰国後2年して研究者としての人生はもう既に閉ざされ,毎日毎日やたらとお仕事は忙しく,もう疲れ果てて夢もチボーもない,自分自身がうつ病の一歩手前,という状態だったんですね。

しかもオンラインゲームにはまってしまって,21〜22時に家に帰って夕食,お風呂が済むとすぐにパソコンに向かい,そのままずっと2時3時までパソコンの前。嫁さん子どもからも相手にされなくなり,酒量と体脂肪ばっかりやたらと増え,毎晩酔いどれてゲームの中でだけ元気に生きてる,そんな風な本当に不健康なオッサンでした。


そんなオッサンが10年前,まさにちょうど10年前の2004年7月,マンションから一戸建ての家に引っ越ししました。

一戸建てと言っても小さな小さな家ですが,掘り込みのガレージは結構広くて自家用車2台分が十分にあり,家庭用のクルマに加えてもう1台,オッサンの通勤用にクルマを買っても良いということになりました。


最初は,ロドスタの格安中古でも買おうかなと思ってましたが,いろいろネットで調べるうちに,20歳代の終わり頃,ジムカーナをやってた頃に通ってた滋賀のショップ,ファインアートさんで,中古のインテグラ・タイプRをガチ競技仕様に改造したコンプリート車両をかなりお得な値段で販売していることが判明。

元々この20歳代の終わり頃にやってたジムカーナは,現嫁と結婚が決まったために中途半端な形での引退を余儀なくされており,機会があればもう一度キチンと競技を走りたい,ちゃんと体制を整えて再チャレンジしたいとかねてから思ってました。

そして,インテグラというクルマ自体にも思い入れがありました。おとーさんが初めて走りに目覚め,峠を走り始めたクルマが初代インテグラでしたから。


10年ぶりにファインアートに行って懐かしい社長と再会し,ショップのコンプリート・タイプR,スーパーインテを見せてもらった瞬間,


「がちり」


おとーさんの心の中で何かのスイッチがONになりました。もうなかなか切れないぐらいがっちりとONになりました。

そうだ,自分にはこれがあった。これをやらないといけなかったんだ。夜な夜なオンラインゲームなんてやってる場合じゃない。

もう一度走ろう。インテグラに乗って走ろう。今度こそ公式戦で人の前に立てるようなドライバーになろう。


目標は「全日本にレギュラーで参戦できるぐらいのドライバー」要するに「全日本ドライバ−」になること。ちょうどその時から10年の間,「不惑」の年代の間に全日本ドライバーになる。

そうだ,これはプロジェクトだ。40歳を前に死にかかってるだらしないオヤジを再生するオヤジ改造プロジェクト,「Project不惑」だ。


その場で社長に「買います!これ,買います!」とソッコーで契約して帰ってきました。それが10年前,ちょうど10年前の7月のことでした。そしておとーさんは不惑インテ号に乗り始めました。

<→最初のdiary


それから10年。

10年。

39歳だったおとーさんはもう49歳。50歳を目前にしてます。

もう「不惑」なんて名乗ってられない。人生は確実に折り返し点を過ぎ,後半戦に入ってます。


10年...よく言われるけど,本当にあっという間のようでもあるし,その間に起ったいろいろな出来事を思うとものすごく長かったようにも思われます。

何より,小学生と幼稚園児だった子供達が今や高3と中3になり,今年なんかダブル受験ですよ。
子犬でもらってきたウチのワンコもぼちぼちいい歳になってきてる。
10年前にはまだ元気だった実家の親父は死んじゃったし,自分も髪が真っ白になり,老眼鏡なしで文庫本なんて読めなくなってきた。ドタバタ忙しい中堅どころの勤務医だったのが,もう開業医になって3年半も経っちゃった。

10年。

いろいろなモノを失い,いろいろなモノを得た。いろいろなモノが変って行った。


10年前にがちりとONになった「走りのスイッチ」はどうなったか。

不惑インテ号が事故ったり廃車になったり,走れない期間が長かったり,全然勝てなくなったり,いろいろイヤなことがあってジムカーナ公式戦に出るのを止めたり,サーキットでは2回ももらい事故したり,正直何度もスイッチが切れそうになったことはありました。

それでもやはりクルマ自体が好きだったし,クルマ屋のおっちゃん達,ジムカーナの先輩達,クラブのみんな,そして何よりライバル達とのつながりがあったから,スイッチが切れそうになっても,いつの間にかまたONの状態に戻ってた。そしてこのサイトに文章を書いてアップするという行為も,スイッチをONにし続ける原動力になってた。


...ただ10年走り続けてきて,最近はスイッチをONにし続けるために,自分でいろいろと工夫をしないといけなくなってきてたことは事実。そしてまた,そういう努力をしてもスイッチの接続がだいぶ悪くなってきてた。それも事実。

プロジェクトの目標だった「全日本ドライバー」には,とうとうなれませんでした。

ただ,知れば知るほど「全日本」という場所に以前ほど憧れを感じなくなったのも事実(もちろん今でも神様のように尊敬しているドライバーさんはいますよ)。

また,おとーさん自身,全日本はともかく地区戦には出てても恥ずかしくないレベルにはなったと思いますし,1回だけ,しかも地元大会の特設クラスでしたけど,ちゃんとした全日本ドライバーと戦って全日本で優勝することもできました。それに昨年,草レースに移ってからはシリーズチャンピオンも取りました。

まあこれなら仮に全日本をレギュラーで走っていても,「全日本ドライバー」であったとしても,そんなに恥ずかしくはないレベルにはなったかなと思います。自分の走りに対してどうにか満足できるようになりました。


オッサン,10年走って,良いドライバーになったな。

と自分に言ってやれるようになってきました。全日本ドライバーでなくても十分,自分に満足できる,許してやれるレベルにはなったかなと思います。


10年前にがちりとONになった「走りのスイッチ」。

もう切れそうになってきてるのを,とりあえず自分で必死にONにし続けてきましたが,今後どうするのか。

そして同時に始まったこの「オヤジ再生プロジェクト」の行方はどうなるのか。

ちょうど10年経ったところで,よーく考えるタイミングが来たようです。


・・・・・・

6月1日はセントラル・ラジアルチャレンジ2014の第2戦。

やはりスイッチが切れかけている影響か,今回のレース,せっかく走りを再開して10周年のイベントだというのに,全くと言っていいほど走るモチベーションが湧かず,申し込みもギリギリ,準備もギリギリ,朝起きたのもギリギリ(笑)。

それでも6時40分頃にはサーキット前の駐車場に到着。何とか1列目に並ぶことができました。7時にゲートが開いて,今回も何とかパドックを自力ゲットすることに成功。




今回のストリートコンパクトクラスのエントラントは,いつもの3人,つまりおとーさん,コペン君,フィットさんに加えて,とうとう出てきたスイスポが1台,そしてNB型のロドスタが1台,EG4のシビックが1台,そしてHONDAの軽が1台。車種も台数もぐっと増えてきました。

開幕戦はいつもの3人だけでしたが,今年から1600ccのロドスタやスイスポが出場できるようになったので,いよいよ今回の第2戦からみんなエントリーしてきた,っていうカンジでしょうか。

しかし当初は確かロドスタはNA型に限るって書いてあったように思うんですが...まあ主催者がOK出してるならおとーさんがごちゃごちゃ言うこともありません。EGシビックも1300ccのクルマらしいので,まあレギュレーションには合致してるってことですね。


しかしこのロドスタやシビック,混走で一緒に走ってるアンダー15ストリートクラスの主力車種ですよ。つまり元から周りはロドスタとシビックばっかり。

スタート直後とか,みんなが入り乱れてしまったらどうやって自分と同じクラスかどうか見分けをつけるんでしょう...ただでさえ視界の悪い状態で,自分も必死で走りながら,同じ車種のクルマがいっぱい走ってるのに見分けつくわけないよねえ。

しかも同じ車種が走ってるのにクラスを分ける意味があるのかな。これじゃストリート「コンパクト」ってクラス名もあんまり意味なくなってきてるよね。この時チラっと思ったんですが,これが後で大きな問題となってくるんです。


まあ,今はそこまで気にせず,いつものメンバーとあいさつを交わしながら走行の準備をして車検,ブリーフィングとスケジュールをこなしていきます。そして午前のフリー走行の時間。

今日はお天気の心配はなさそう。しかしもう完全に夏の日差しで,気温はもう既に25℃を超え,路面も触ると「あちち」というぐらいの温度になってる。これから気温も路面温度もまだぐんぐん上がるでしょう。ある程度タイヤの負担を考えた走りが必要です。



※ピーカンのコース。


走り出してしばらくしたらピットイン,タイヤの温度を確かめてまた走り出す。そんなことをしながらライバル達のラップも時々チェックします。

現時点でおとーさんは2番手。気になってたロドスタとシビックには2〜3秒の差をつけて勝っており,こちらはOK。コペン君にも約1秒勝っており,フィットさんや軽のドライバーさんにも数秒以上の差がついてる。


しかし「やはり」というべきか,スイスポは速い。こっちが1秒負けてる。

しかもセッションの終盤,ピットから出て行く時にぴったりデミ助の後に張り付いてたのが当のスイスポ。

目の前でアホみたいに全力で走って手の内をさらけ出すよりも,適当なところで相手を前に行かせて,こちらが後からじっくり見てやろう...そんなカンジで長めにウォーミング走行をしていたら,前に出てくれました。さあ,じっくり観察。


うーん...こ,これは...(汗)

クルマはしっかりできあがってますね。特に足回りはセントラルの路面によく合ってる。ドライバーさんも昨日や今日ここを走る人ではなさそう。

おとーさんが真後に陣取っていてさすがに向こうも意識したのかリアを暴れさせる場面もありましたが,それ以外はピッタリ路面に張り付いたようなコーナリングで,ものすごい挙動が安定してる。パワーもしっかり出ていて,ストレートではデミ助の勝負できる相手ではない。

しかも走りにはまだ余裕があって,明らかにギリギリまで攻めてないにもかかわらず,おとーさんよりラップが速く,数周回するうちにじりじり差が開いていきます。


こ,これは,ゼッタイ勝てんな...(汗)

いや,しかしレースは最後まで何があるか分らない。とりあえず最後まで諦めずにベストを尽くそう。


・・・・・・

午後からの予選セッションでも,熱でタレるタイヤと格闘しながら何とか1分40秒台にのせたおとーさんと比べると,スイスポは短い周回でポンと39秒台を出してて,きっちり1秒差をつけられました。しかも向こうにはまだ余裕がありそう。ギリギリまで粘ってやっと39秒台出しました,っていうカンジではない。

同じクラスの他のドライバーさんはどうか。

まずミッションにトラブルを抱えながら,それでもおとーさんの1.5秒ビハインドまで追いついてきたコペン君はさすが。ただ予選セッション終了後にミッションが完全に終わってしまい,またしても積車で帰ることに。うーん,ライバルながら非常に残念。



※積車に載せられて行くコペン君。しかしえらい積車やなあ(笑)。

フィットさんや,ロドスタさん,シビックさん,軽の方とは2〜3秒以上の差があり,スターティンググリッドも離れました。まあよほどのことがない限り負けることはないでしょう...そう,よほどのことがない限りね

つまり,おとーさんがスイスポよりも前に出ない限り2位はほぼ確定ということかな。


予選での1秒差。スタートで前にさえ出られれば,前回のコペン君とのバトルのように,何とか頭を抑えて逃げ切れる可能性はあります。しかし,向こうはまだまだ余裕を残してる感じだった。タイヤもまだまだ山があるでしょう。スターティンググリッドもすぐ前ではなくって,間に1台入ってしまってる。よほどこちらのスタートがうまく行って,向こうが大チョンボでもしない限りスタートで前に出るというのはムリだな。

ということは,シリーズポイントを考えると今回はムリせず2位を死守する方向で行くべきか...いや,しかしレースは最後まで何があるか分らない。とりあえず最後まで諦めずにベストを尽くそうよ...


何となく気持ちを絞り切れてないままでBグループの決勝レースの時刻になります。

コースを1周ぐるっと回ってきてスターティンググリッドにつくと,スイスポさんは2つ前のかなり離れたグリッドにいます。やはりあの前に出るというのはフライングでもしない限りムリだな...作戦が2位キープに大きく傾きかけたところでエンジンON,フォーメーションラップに出て行きます。


ウォーミングは最小限でOK。おとなしくコースを1周し,さあグリッドに。

モチベーションがどうのこうの言ってても,やはりこの瞬間は胸が高鳴ります。早鐘のように打つ胸の鼓動を抑えるようにゆっくりエンジンをふかし,点灯したレッドシグナルを凝視。


そしてシグナルグリーン! スタート!


若干ホイールスピン多めであまり良いスタートではありませんでしたが,それでも目の前のシビックを1台かわしてスイスポの後に出ます。しかしスイスポは抜群のスタートを決めたらしく,ただでさえ遠かったのがさらに遠くに逃げてしまっておりとても届かない。もうこの時点で明らかに勝負あったな。という感じ。

気持ちを入れ替え,ターゲットは「2位キープ」で確定。

もしスイスポに再び近づくチャンスがあればラッシュしますが,予選での1秒差を考えるとまずそんな場面は来ないでしょう。しっかり走ってきちんと2位をキープ,シリーズポイントを確保しましょう。



※スタート直後のコース(画像は公式サイトよりいただきました)。


しかし,1-2コーナーを回ってバックストレートに至ってもスタート直後の混乱状態が続いており,周囲をシビック軍団に囲まれてしまって,自分のクラス内順位もよく分りません。たぶん2位はキープしてると思うけど,やはりこの状態でシビックの車種を見分けることは不可能。

ただ,中にはかなり危なっかしい動きのシビックもいるので,ヘタにがんばって接触→リタイヤとなるよりも確実にポイントを取りに行く方向で。直線で速いシビックとは競らずに前へ行かせ,まず落ち着いたポジション取りを目指します。


2ラップ目に入りやっと周囲が落ち着いてきたな,さあペースを上げるかな,というところで後からさらに何台かシビックが追いついてきます。後から追いついてくるクルマをブロックするわけにもいきません。

次の周回にかけて1台,2台,3台...シビックを前に行かせましたが,ここでこの日のおとーさんの運命は決まりました。


3台目のシビック。こちらが明らかに道を開けて減速してるのに,やけに抜くのに手間取ってるなと思いましたが,これはこの日,絶対に前に行かせてはいけないクルマでした。

後から見てると,とんでもない運転をしてる(汗)。

ほとんど全てのコーナーにオーバースピードで突っ込み,クリップを大きく外しながら無理矢理にフロントをねじ曲げ,しかもステアの戻しが遅いのでコーナー出口になってからイン側に寄ってくる。

さらに後をほとんど見てないらしく,こちらがインに入りかけててもコーナー出口で遠慮なくインに寄ってくる。危ない危ない。


それでもおとーさんよりも速ければ何も文句を言うこともないけど...遅い。おとーさんより4〜5秒も遅い。しかも天下のVTECだから直線だけはデミオより速い。

コーナーで抜こうとしても,クリップで大きくはらむのでアウトに行くことはできず,インに入るとコーナー出口でこちらに寄ってきて間違いなく接触するという,要するに,遅いのに絶対に抜けない魔のクルマ


これはえらいことになったぞ...

ちょっとでもペースアップして2位を確実にキープしたいのに,こちらのペースよりもかなり遅い1分44〜45秒台で頭を押さえつけられてしまって,全く前に出られません(因みにおとーさんの予選タイムは1分40秒2)。

コーナーの出口でクルマを右にやったり左にやったり,「違うクラスのクルマだぞ,前に行かせてくれや」と一生懸命アピールしますが,そもそも後を見てない相手にそんなことやっても何の意味もない。結局,直線に立ち上がると向こうがじりじり前に行ってしまう。

頭の血管が切れそうになるぐらい強烈にイライラして,接触覚悟でインに飛び込んでやろうと何度も思いました。しかしその度につい先日払ったばかりの修理代の数字が頭に浮かびます。こんな××××相手にイライラしてインに入って接触,中古のデミオが1台買えるぐらいの金額をドブに捨てる...もったいないもったいない。とてもそんなリスクを負うような気持ちになれない。


この××××シビックと,ストレートで1〜2車身離れるも,コーナーではずっと後に貼り付いてしまう状態が何周も何周も続きます。特に峠区間で遅いのでバンパーがぶつかりそうなぐらい接近してしまいますが,だからといって向こうは全く後を気にした素振りを見せないので,危なくてインには飛び込めません。

そうこうするうちペースが遅いため先頭集団が周回して後から追いついてきます。とりあえず道を譲らないと仕方ありません。

しかしあろうことか,件のシビック,先頭集団のクルマが後に迫っても一向に気にせず同じ走りをしてる。先頭のDC2インテがガラ空きのインに入った時も,後を見てないんでしょうねえ,同じラインで走ってコーナー立ち上がりで接触しかかって,インテの方がブレーキ踏んでました。いやもう,後から見てて冷や汗かくぐらい怖かった。

何せペースが遅いので,その後も次から次からトップグループのクルマが来ます。どのクルマもパワーがあるので前のシビックを何とかストレートで抜いていきますが,デミ助ではそれができない。泣きながら後を走るしかない。


そのままレース終盤になり,もうぼちぼちチェッカーかなという時にもう一台,後から黒いロドスタが結構な勢いで迫ってきました。

当然ながら先頭集団のロドスタだと思いますよねえ。速いロドスタいっぱい走ってますし。

先頭集団の邪魔しちゃいけません。最終コーナー手前で無理矢理インに寄って,何とか前に行かせました。常識のある大人として当然の行動です。

そしてそのままストレートに立ち上がり,そこでチェッカー。





・・・・・・

もう,ホントにこれ以下はないというぐらいの最低のレースでした。

予選まではぼちぼちだったのが,決勝では,最初から最後まで全てが思うように行かなかった。特にあの××××なシビックをわざわざ前に行かせたことは痛恨の極み。


しかし...ラジチャレは初心者も走る草レースイベントですから××××なクルマの存在は,まあしょうがない。今後しっかり練習して上手くなってくれたらいい。いろいろな経験を積み,いつかちゃんと後を見て走ることの大事さを学んでくれたらいい。

しかも本当に上手なドライバーなら,相手がああいうクルマでも,パワー差があっても,スパっと抜けるんでしょう。今のおとーさんにはリスクを冒す勇気がない。スパっと行く勢いがない。それはこっちの問題。

ヘルメットとHANSを助手席に投げ捨て,今すぐ相手のパドックに行って胸ぐらつかんで怒鳴りつけてやりたいぐらいの気持ちを,唇を噛んでぐーっと抑えます。

何度もレースを走る中にはこういうこともあるでしょう。これもレース,そう,これもレース。とりあえず2位か3位には入ってポイントはとれたから良しとしよう。


しかし。

事態は「最低」のさらに下を行ってました。


スタート直後の混乱の中で,おとーさんよりも後からスタートした同じクラスのシビックを前に行かせてしまったらしく,おとーさんの順位は2位ではありませんでした。


しかも。

ファイナルラップの最終コーナーの手前で先へ行かした黒いロドスタは,実は,先頭集団ではなく同じクラスで出走しているロドスタだったんです。

つまりライバルにどーぞどーぞと先を譲ってしまってたわけ。っつーか,じゃあいったいどうやって同じ格好したロドスタの参加クラスを見分けろと言うのよ!


まあ,いずれにしてもおとーさんの今回の順位は「4位」。

表彰台にすら乗れず。


レースが終わってから「どうしたん?」と駆け寄ってきてくれたコペン君からその事実を聞かされた時,おとーさんの心の中で


ことん


と何かが音を立てました。


物が床に落ちたような音ではない。何かをそっと机の上に置いたような音。

何かの鍵か,それとも何かを綴るためのペンか。

ただ,それは確実に1つの時代の終わりを告げていました。

10年前にがちりとONになった「走りのスイッチ」は今ここで完全にOFFになり,もう二度とONになることはないなというのが自分で分りました。


何年か前までだったら,こんなレースの後は悔し過ぎてきっとメソメソ泣いていたでしょう。しかし今のおとーさんはとってもさばさばした気分。むしろ結果が中途ハンパにならずサイテーのサイテーだっただけに,気持ちがしっかり固まりました。


もう,無理。

もう,クルマの競技は,止めよう。

今日,ここで,止めよう。


そそくさと後片付けを済ませ,高速が大渋滞になる前に帰途に就きます。

これまではビリだろうが何だろうが,どんなに辛い結果でも必ず表彰式には出ていましたが,この日,初めて,表彰式に参加せずに帰りました。こんなレース,もう二度と走るか。表彰式,好きにやってくれ。ジャンケン大会とか,とてもやってられない。もうここに来ることもない。


コペン君とフィットさんにちゃんと別れを言えなかったのはすごくすごく残念ですが,表彰式をやってる方向に向けて「敬礼」をして通り過ぎました。

さようなら。

最高のライバル達,素晴らしいレーシングスピリットをありがとう。

1年ちょっとの間だったけど,一緒に走れて本当に良かった。レースの楽しさ,バトルの楽しさをたっぷり味あわせてもらった。特にコペン君,何とかミッション直して復帰して,今年のシリーズチャンピオンは必ず必ずキミが取ってくれよ。健闘を祈る。

ありがとう。さようなら。


・・・・・・

40歳代,不惑の10年間をずっと走り続けてきて,ちょうど10年経ったところで止める。

後悔は全くありません。素晴らしい10年間だったと胸を張れます。


その時,その時で,自分にできることは尽くしてきました。家庭があり,仕事があり,齢も若くない,いろいろ制約がある中で,できることは精一杯やってきました。

先にも述べた通り,モータースポーツに復帰した時の「全日本選手になる」という目標そのままはかなえられませんでしたが,少し違った形で,自分の中では十分それに匹敵するドライバーになれたと思ってます。


オッサン,10年走って,良いドライバーになったな。

もう一度,自分に言ってやりたい。

ジムカーナの女神様(久々に登場)もニッコリ笑って,

オッサン,やっぱりキモイけど,10年間ご苦労様。

と,言ってくれてるように思います(笑)。


何よりも,40歳を前にして既に老人のような心境になってたオッサンが,今はすっかり元気になりました。これは間違いなくクルマとモータースポーツのおかげです。

クルマが,モータースポーツが,腐りかけてた自分の人生を救ってくれた。

もちろん10年の間にいろいろしんどいこともありましたが,それも「走る」ことと「書く」ことが支えになって,何とか乗り切ってこれました。

モータースポーツにはいくら感謝しても感謝しきれない,そんな気持ちです。


プロジェクトはここで完結します。

死にかけてたオヤジはすっかり元気になり,この10年を走りきりました。

最後のレースは冴えませんでしたが,プロジェクトは大成功です。完結です。


もちろんおとーさんは今後もクルマに乗り続けます。クルマいじりも細々と続けるでしょう。クラブの代表をしてますので当然ライセンスの更新もします。たまにまた身内で練習会をするかもしれませんし,気が向いたらG6とか姫路のジムカーナには出ても良いかな。

でももう「勝つ」ために走ることは二度とありません。スイッチはもう完全にOFFになりました。そこは自分の中できちんとケジメをつけたいと思います。


実は,デミ助からも下りようと思ってます。

あちこちガタが来てるオンボロ競技車両ですが,まだまだ戦闘力の高いクルマ。こいつは「勝つ」ためのクルマです。ガレージで寝かしておくのは可哀想。誰か競技で乗ってくれる人に譲ろうと思います。近々パーツリストなどを作って売りに出そうかと思ってますので,興味のある方はまたご連絡下さい。


そしてこのサイトについて。

プロジェクトは完結しましたし,ここで潔く終わりにするというのもアリかと思いますが,もうちょっと存続させてもいいのかなとも今は思ってます。


4月のG6の時にも「不惑さんのサイトを見てジムカーナを始めました」と言って下さった方がおられました。幸いこれまで何人かの方に同じようなお言葉をいただきました。本当にありがとうございます。

こんな拙いサイトでも,モータースポーツの魅力を伝え,これからモータースポーツを始めようかなという方のためにちょっとした道しるべになるのでしたら,多少は存在の価値があるのかもしれません。また,もしこのサイトを続けることで少しでもモータースポーツに対する恩返しになるのであれば,自分ができる限り続けないといけないと思います。


ということで今しばらく,クルマについて,モータースポーツについて,だらだらと駄文を書き続けることになるかと思いますが,みなさま,お付き合いよろしくお願いします。


さて。


10年続けてきたプロジェクトを終えるにあたって,最後にもう一度だけ。


モータースポーツ万歳!


クルマ万歳!



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