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おとーさんの愛したクルマ達 その1 −初代インテグラ−


19歳で免許をとって車に乗り始め1年半後に新車で購入,おとーさんにとって2台目のクルマがこの初代・クイント・インテグラ(型式:E-AV ---いい型式だねえ)でした。時は今から20年前。ハチロクがまだ現役モデルとしてディーラーで売ってる頃ですよ。


山下達郎をBGMに,クルマからすらりと下り立ったグラサンの外人モデルが風に髪をなびかせる,という感じのオサレなCMも当時話題になってました。マイケル・J・フォックスが出てくるダサイCMはこの次のVTEC初搭載モデルね。


クルマ本体のスペックもなかなか優秀。

シビックやCR-Xでも有名な名機ZCエンジンを搭載,PGM-FI車は1.6リッターで120psを誇りました。おとーさんが乗っていた5door ZSというグレードのシングルキャブ仕様車はちょうど100psでしたが,吹け上がりは軽く非常に気持ちのいいエンジンでした。

そして,軽い! 5door車でも950kg。優に1トン切ってます。
ボディサイズはDC2インテより全長がちょっと短いぐらいであんまり変わらないんですけどね。

サスは,フロントがトーションバー方式でストロークが少なく,軟らかいわ,すぐ底突きするわで今一つでしたが,車体が軽いため高速コーナーが連続するような峠の下りではヒラリヒラリと軽快に走ることができました。高速コーナリング中に段差を越える時はいちいち車体がアウトにすっ飛ぶのでケッコー怖いもんがありましたが f(^-^;)

そして何より好きだったのはデザイン。
リトラクタブルライトですっきりしたノーズ。グラマラスながら上品で女性的なリアの曲線。車内も結構広く,トランクも使いやすく,使い勝手も良好。今見ても(比較的)古さを感じさせない画期的なデザインだったと思いますし,DC2やDC5に至ってもシリーズを通じてどことなくこの初代インテと共通したイメージが残されているのが非常にうれしい所です。


↑初代クイント・インテグラ      ↓DC2インテグラ・タイプR (撮影:honeさん)

ほら,結構面影あるでしょ。どちらもおとーさんの愛車です。

さておとーさん,最初はこの初代インテに大人しくノーマルで乗ってたわけですが...

ちょうどこの頃,世間ではF1ブームが始まっており,夜の峠は走り屋のクルマでにぎわい始めておりました。おとーさんもご多分に漏れず,日曜の夜はいつもF1観戦で半徹夜,月曜は常にヘロヘロ状態っすよ(笑)。他にも,高校の後輩が大学の自動車部でラリーやってたり,友人が単車で峠を走ったりしてましたので,自然とおとーさんも峠を走るようになって行ったわけ。

ちょうどおとーさんの実家の周りは山だらけ。走るステージには事欠きません。夜な夜な家を抜け出しては近所のお山で一人朝まで走り回っておりました。当然,学校はサボりまくりで進級も常にギリギリ(笑)っつーか1回ダブリましたけどね,わっはっは,みんなには内緒だぞ。

しかしこうなってくるとどうしてもノーマルではもの足りない,というか,サスはばんばん底突きするわ,ブレーキはしょっちゅうフェードするわで危なくってしゃあない。そこで...

前後ショック → 無限 強化ショック
前後スタビ → インテGSi用 流用?
前ブレーキ → エンドレス NA-S + ローター研磨 + フルード交換
タイヤ → ADVAN グローバ 195/60-14
内装 → シュロス4点式ベルト + シフトノブ(メーカー?)
ステッカーチューン → 無限,アドバンなどなど

と,こんな感じになりました。
本当はストラットタワーバーも入れたかったけど,キャブ仕様車はでかいエアクリが干渉するため入れられず。マフラーその他もキャブ仕様車はパーツが出ておらず,寂しい思いをしました。

しかし当時のおとーさんにはこのライトチューンで十分。峠でブイブイ(一人で勝手に)いわしてましたな。ブレーキは結構鳴きがひどく,my嫁さん(当時からもう付き合ってました)に「キーキーうるさいなー,もぅー」といつも文句言われてましたが。


・・・・・・


このクルマで走り回った6年間。走行距離は10万kmほど。
いろいろなところへ行き,いろいろな女性と××し(ウソ),いろいろな峠を流し,リアにキーボードやPA機材を満載していろいろなライブへ行き,スキーにも夏の海にも,時には実家の家族車としても活躍し...20歳台前半から後半にかけて,若き日のおとーさんの傍らに常に相棒として寄り添っていてくれたのがこのクルマでした。
クルマというモノの楽しさをとことん教えてくれた,おとーさんをにしてくれたのがこのクルマでした。いうなれば,初恋の相手といったところ。


しかしどんなに好きで好きで仕方ない相手でも,いつか別れは来ます。
いつもずっと一緒に過ごしてきた相手でも,いつか別々の道を行くようになります。
そして別れはいつも突然に,でも後から考えると必然のタイミングで,やって来ます。


激しい衝撃とともに前方に投げ出されそうになったおとーさんの身体をシュロスの4点式はしっかり抱き止めてくれました。「軟らかい」と悪口しか言われないホンダ車のシャシーは自らが潰れることによって,見事におとーさんの身体を守ってくれました。
壊れたラジエターから噴き出す蒸気で視界は霞み,思い切り噛んだ舌からダラダラ流れ出す血は後悔と狼狽の味がしました。まだ暗い早朝の峠で止まったそのエンジンはもう2度と動き出すことはありませんでした。


自宅から遠く離れたその町の自動車屋の裏庭,スクラップ車の山の中に寂しく並べられた姿がおとーさんの初代インテの最期の姿でした。事故から数日後,車内にのこったカセットなどを引き取りに来て,いざ帰る時になって...フロントが無残に潰れた愛車を前にして,後から後から涙が出てきて,止まらなくなりました。親が死んでも絶対こんなに泣かんやろ,っていうぐらい。
見かねた店のオヤジが「ちょっと待ち。これ持って行き。」と言って,インテのステアリングを外して,メインキーと一緒におとーさんにくれました。オヤジに礼を言って,片手にそのステアリングを持ち,片手にキーを握り締め,(本当に)泣きながら帰りました。


今でもそのステアリングはおとーさんの部屋の片隅で,93年シーズンにゲットしたジムカのトロフィーと一緒におとーさんを見守ってくれてます。この間4位になってゲットした盾をその前にお供えして(神棚かい!),しばし初恋のその人に想いを馳せたおとーさんなのでした。


おとーさんは信じています。不惑インテ号はこの初代インテの生まれ変わりなのだと。
初恋のその人に見せてあげることのできなかった本物のモータースポーツの晴れ舞台に,生まれ変わりの不惑インテ号と一緒に上がるのだ...それがおとーさんの「インテグラ」というクルマへのこだわりです。速いクルマであること,勝てるクルマであること,競技をする以上もちろん大事なことですが,おとーさんがインテグラに乗るわけは,それは,宿命...いや,愛なのです。





※ クイント・インテグラについては素晴らしいサイトがあります。

遥か遠い日の後姿
当時のカタログやポスター,CMも見ることが出来ます。クイント・インテグラへの愛にあふれたサイトです。


※ 日本ではほとんど見ることのなくなった初代クイント・インテグラですが,北米ではまだいくらでも走ってます(多分アキュラ・ブランドでしょうけど)。向こうに住んでるときはフリーウェイを元気に走る初代インテを見るたびにうれしくって仕方ありませんでした。f(^-^;)


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