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2007年 > 9月13日
おとーさんの愛したクルマ達 その3 −MR2 GTS−
時は今から15年ほど前。おとーさんがまだ20代後半だった頃。
ある晴れた日曜日の朝。
大事な大事な相棒だった初代インテを,ちょっと前に某峠で亡くして,失意に沈んでいたおとーさんでしたが,そんなおとーさんを見かねて,免許取り立てのうら若き乙女(現在の嫁様!)が彼女のクルマでドライブに誘ってくれたんですよ...いや,誘ったのはこちらだったかな? ま,とにかく彼女のクルマの助手席に乗って,横から「ハンドルの切り込みが遅いゾ」とか何とか生意気にドラテク指南をしながら走ってたわけ。
ドライブ先は特に決めてなかったけど,何となく姫路方面に決定。
で,中国道を走って(当時は山陽道は未整備)姫路に着いたはいいけど,その先どこに行くというアテもなかったので,とりあえず定番のデートコース,姫路セントラルパークへ...
ところが。
入口のゲートを通って駐車場に入り,クルマを下りて,ふと隣の駐車場を見ると...何とそこで信じられない光景が繰り広げられていたわけ。
おとーさん,息をのんだまま,その場に立ちすくんで動けなくなりました。
いや,別にシマウマ200頭がパンツいっちょで縦横きちんと整列して,みんなでラジオ体操してたとか,そういうシュールな光景でもなくて。
だだっ広い駐車場の中にだーっと並べてあるのは無数のパイロン群。そこを,いつも峠で追いかけっこしてたシビックやCR-Xが,あっち行ったりこっち行ったりグルグル回ったり,とにかく猛烈なスピードで所狭しと走り回ってる。
色とりどりの競技車。
林立するパイロン群。
キラキラ光るフロントガラス,ハデなスキール音,信じられないクルマの動き。
夜の峠道とは全然違うホンモノのモータースポーツの世界。
こ,これがジムカーナか...
す,すげえぇぇ...
カッコええ...すげえカッコええ...((((゜Д゜;))))
実はおとーさん,この時点で既に森田名人の本*は愛読してましたし,「ジムカーナ」に興味津々だったんですが,実際のジムカーナの走りを見るのはこれが初めてでした。
もう,その場に釘付け。
横でカノジョが「早う行こうよ!もう!」と怒ってても,そんなのは耳に入らない。
これだよ...これ。
オレもやろう。ジムカーナやろう。
もう"峠"なんて危ないだけのガキの夜遊びは卒業。
これからは本物のモータースポーツだよ。ジムカーナだよ。
何とかローンでクルマ手に入れて,ジムカーナを走るぞ!
以前のdiaryにも書きましたが,これがおとーさんとジムカーナとの衝撃の出会いでした。
・・・・・・
よーし! ジムカーナやるぞ!
固く決心したおとーさんがまず向かったのがクルマ屋ではなく本屋。
ちょっと前から気になってた「スピードマインド」という雑誌を,今日は立ち読みではなくスパっと購入。家に帰ってからジムカーナ関連の記事をくまなくチェックします。
スピマイのその号にはちょうど「'92年ジムカーナAVクラス最新トレンド」っつー題名で,A3クラスの主流車だった"MR2"の特集が載ってました(ちょうどII型のSW20に切り替わったとこね)。
...初代インテが事故った後,とりあえず中古のATオヤジ車に乗ってたおとーさんですが,そんなクルマではとても競技は走れないので,何か競技のベースになるようなクルマを手に入れないといけません。
当時速かったのは,A1クラスではシティ,A2クラスではCR-X,そしてA3クラスがMR2。
正直,シティやCR-Xにも興味はありました。特にCR-Xは,その速さを夜の峠でいつもイヤというほど見せつけられてましたからね。
でも"MR2"というクルマに,おとーさん,もともと強い憧れがあったんすよ。
ちょうど型式がAWからSWになった初代のMR2が発表になった時,おとーさん,展示車の運転席に乗ったことがあるんですよ。非常にタイトなコックピットに収まって,うぉぉぉぉ! カッコええぇぇぇ! でもめっちゃ狭ぇぇぇ(笑)! いつかはこんな「乗り手を選ぶ」スポーツカーに乗ってみてぇぇぇ! って密かに萌え萌えだったんですよね。
もちろんその時は大好きな初代インテに乗ってましたから,わざわざ乗り換えるなんてことは考えませんでしたが,その初代インテも峠で星空に散ってしまいました。
おおそうか,やっぱMR2か,よーし,じゃいよいよこいつに乗ってやろうじゃん,って自然になるわけですよ。つまり,スピマイの特集を見るまでもなく,既にほとんどMR2に決まってたと(笑)。
そして,MR2に乗る,と,そう決めた次の日には,仕事をサボって近所のクルマ屋にハンコ持って走り,ほとんど頭金も値引き交渉もなしに「男の48回」ローンでもってMR2(SW20)を新車で購入しちゃったわけですな。
姫路でジムカーナを見てガビーンと衝撃を受けてから実際にMR2に乗り始めるまでまあ,1ヶ月も経ってたかどうか。ええ,アホですよ,そうですよ ヽ(´ー`)ノ
・・・・・・
ということでMR2(SW20)GTSに乗り始めたおとーさんですが。
本当に素晴らしいクルマでしたね。
素晴らしく速い。
素晴らしくトラクションがかかる。
でも限界域のコントロールが素晴らしく難しい。
そして素晴らしくリアタイヤが減る(泣)。
メンテにも素晴らしくお金(工賃)がかかる(大泣)。
でもでも素晴らしくカッコいい。
素晴らしく絵になる。
素晴らしくその気にさせてくれる。
そして素晴らしく狭くて不便!!!(笑)。
センターコンソールが素晴らしくでかくて,いざという時,助手席にのしかかれない!(爆)。
「スポーツカー」というもののいい所と悪い所を両方ともかなり極端な形で体現している,名実ともにスペシャルな素晴らしいクルマでした。「スペシャル」の程度で言えば,不惑インテ号でも及びません。MR2と比べればDC2インテグラ・タイプRですら「乗用車」ですよ。
この素晴らしいクルマに乗って,おとーさんはジムカーナへの挑戦を始めました。
おとーさんがメインに参戦していたのは,当時TOYOタイヤが主催で土曜日に行われていた「気分はジムカーナ」93年シリーズ。この恥ずかしいネーミングどうにかならねーかなと,当時既に思ってましたが,同じ意見の人が多かったようで,確か翌年から「サタデーシリーズ」という真っ当なネーミングに変わりましたな(笑)。
このシリーズはあくまでクローズドの競技でしたが,土曜日に行われていたため,ジュニア戦(当時のミドル戦)の上位陣がこぞって出場,何気にレベル高かったです(泣)。ただ,土曜日に行われる関係でエントリー台数は比較的少なくて,A3クラスのエントリーはだいたい20〜25台程度とジュニア戦の半分ぐらい。公式戦では入賞できない人でもがんばればチャンスが回ってくる「美味しい」シリーズでした。
おとーさんは,とりあえずTRDのショックとRIGIDのブレーキパッドを入れて,スプリントハートのホイールにDUNLOPのD93JというSタイヤを履いただけのライトな仕様で参戦。初めての参戦(名阪ABコースでした)で25台中10位に入ってシリーズポイントを1点だけもらい,「お,俺って才能あるのかも」とお決まりの勘違いにハマルわけです(笑)。
もうこうなるとジムカーナの虜。寝ても覚めても考えるのはクルマと競技のことばかり。
仕事やカノジョの存在なんてそっちのけで,稼ぎは全てクルマにつぎ込んで,毎晩走る走る。
特にタイヤ代は湯水の如く使いました...
※昔の名阪Cコースですよ。知ってる? これはイトウ工業コーナー方面ね。
努力の甲斐あって,その後もとりあえず10位以内に入ってポイントを重ねることができ,特にビスカスの純正LSDから機械式のLSDに変わった時点でポーンとタイムが上がって,4位入賞と表彰台まであと一歩のところまでたどり着きました(エントリー数の多いジュニア戦では真ん中あたりをウロウロするのがやっとでしたが)。
しかし,実はこのあたりから妙な空しさを感じるようになったんですな。
結局この世界,速くなるのは「お金がある人」なんじゃないか,って。
何だ,ジムカーナって結局,金次第じゃん,って。
もちろん,クルマをほとんど頭金なしに新車で買ってローンをガンガン払いながら,改造もイチから進めながら,その上で実戦にもどんどん出ながら,っていうのがそもそもの間違いなんですけどね。そりゃ,いくら独身でクルマにどんどんお金使ったって誰にも文句言われないっつっても限度ってモンがある。実際,お金は飛ぶようになくなって行きました。
普通は,クルマは中古車で安く現金一括で買うとか,改造はもっとゆっくりゆっくり進めて行くとか,実戦参加はもうちょっと少なくするとか,もうちょっと競技生活のプランというものを考えるでしょう。でも若き日のおとーさんは,「俺って才能あるかも」っていう大きな勘違いもあって,全てを一気にジムカーナにつぎ込んでしまった。その結果,徐々に資金繰りに行き詰まって,伸び悩むタイムを「お金の有る無し」に責任転嫁するようになってしまったわけですよ。
おバカですね。
貯金はとうに底を突き,シーズンオフのメンテをするお金もない状態で,とりあえずシリーズ最終戦も何とか10位にすべり込み,シリーズポイントをセコク積み重ねてA3クラス・シリーズ6位に入ることはできました。でもこの時点でもう気持ちはかなり擦り切れてました。不完全燃焼のままで燃え尽きたって感じでしょうか...
・・・・・・
そしてちょうどこの頃,件のカノジョと,そのままゴールインするかどうかを決めなければならない,そういう状況になってたんですな。いや,別に「できちゃった」わけじゃないぞ。それぞれのタイミングの問題ね。カノジョは大学卒業して就職するかどうか,おとーさんは大学院に進学して研究生活に入るかどうか,そのへんの人生の選択肢もからんでたわけで。
もし結婚するとなると,式は翌年の秋の予定。で,結婚するためには当然お金が要る。タイヤなんて買い込んでる場合じゃない。LSDのオーバーホールなんてやってる場合じゃない。結婚するんだったら潔くジムカーナは止めて1年間しっかり結婚資金を貯めないと。
つまり,
1.ジムカーナやめて結婚する。
2.結婚やめてジムカーナ続ける。
どっちにする? てことで。
...... (´・ω・`) ......
もちろんおとーさんは,カノジョをとったわけです。
ジムカーナをとりあえず1年やってみただけの,まだ何にも分かってないくせにカンチガイ野郎のおとーさんは,生意気にも「ジムカーナに疲れた」みたいな心境もあって,ジムカーナを簡単に止めてしまいました。クローズド競技では入賞できたものの,公式戦では鳴かず飛ばずでポイントすら取ってなかったのに,あっさり諦めちゃったんですよね。
今でも時々思います。あのまま競技を続けてたらどうなっただろう...って。
たぶん,今の嫁さんとは結婚してなかったでしょう。それぞれ全然別の人生を歩むことになってたかもしれません。この選択に関して,おとーさんは後悔しまくり してませんよ。でもね...。
そして,競技車としてやっと完成したばかりのMR2は壮大な「宝の持ち腐れ」となりました。
っつーか,新婚夫婦がほのぼの乗るファミリー車じゃねーよ!絶対!
ジムカーナ用のショックもフルブッシュもエンジンマウントも,機械式LSDもSタイヤも,ただ単に乗り心地悪いだけ。フルメタルのパッドもキーキーうるさいし,雪道をチェーン巻いて走る時には危ないだけ(っつーかこんなクルマで雪道走るなよ)。
もったいない,実にもったいない。
※新婚旅行で金沢に行った時の写真。しかしいくら貧乏つっても新婚旅行が金沢って...
いったんはジムカーナをやめて結婚を選択したおとーさんですが,しばらくするうちにじわじわ後悔の念が出てきます。いや,結婚自体は後悔しまくり してないですよ。競技をあっさり止めちゃったことについての後悔。
...あんな情けない中途半端な成績のままで止めちゃうの?
...何とか年間表彰にはすべり込んだけど,結局,表彰台にも乗ってないし,公式戦ではノーポイントでしょ?
...お金がないから速くならない,とか言うけど,問題はやっぱり「腕」っしょ?
...お金があんまりなくっても,金銭的に無理のないペースでぼちぼちやっていけば,いつかはもちっと結果出るんと違うの? いくら何でも焦り過ぎてたんじゃないの?
しかし後悔先に立たず。
新婚生活というのは何かとお金が要りよう。また,身分的には大学院生になったおとーさん,収入が大きく減って,とても「競技再開さしてくりや」なんて言える状態ではない。
そして,結婚して1年ほどすると...そう。
お子様が。
MR2には3人目の人間を乗せるスペースはありません。
いや,スペアタイヤのスペースとかトランクならわずかにありますが,普通,そんなところに大事なお子様を乗せるわけにも行かず。
万事休す。
それでも嫁さんのお腹がパンパンに大きくなるまで,出産のホント直前までジムカ仕様のMR2に乗り続けました。手放すのがあまりに悲しかったから。
MR2に乗ってるといつも,嫁さんの腹の中でガキがドコドコ動きまくってました。
喜んでたのか,苦しんでたのか分かりませんがね。
実際,途中で1回早産になりかけましたし ((((゜Д゜;))))
・・・・・・
今から思うと93年の成績は,中途半端な成績ですが,競技参戦1年目にしては我ながらよくがんばった方だと思います。特にシリーズ前半は,ジュニア戦に並行して出てる周囲のガチAV車両に対して,こちらはLSDも入ってない仕様でしたからね。
...ただ,あまりに急ぎ過ぎた。
そんなに焦らず,もっとのんびりやってれば,競技に燃え尽きてしまうこともなく,貯金が底を突くこともなく,結婚生活と競技生活を両立する道もあったかもしれない。
それでも,子供ができた時点で乗れなくなるのは,MR2というクルマの宿命ですが。
「速さ」は,お金の有る無しではなく,才能の有る無しでもなく,焦らずに走り続けることで得られるものだ,大事なことは「続けること」だとおとーさんが分かったのは,もっともっと後年のこと,長〜いブランクを経て,不惑インテ号と出会ってからになります。
...いや,今もまだちゃんと分かってないのかな...
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おとーさんの愛したクルマ達 その3 −MR2 GTS−
時は今から15年ほど前。おとーさんがまだ20代後半だった頃。
ある晴れた日曜日の朝。
大事な大事な相棒だった初代インテを,ちょっと前に某峠で亡くして,失意に沈んでいたおとーさんでしたが,そんなおとーさんを見かねて,免許取り立てのうら若き乙女(現在の嫁様!)が彼女のクルマでドライブに誘ってくれたんですよ...いや,誘ったのはこちらだったかな? ま,とにかく彼女のクルマの助手席に乗って,横から「ハンドルの切り込みが遅いゾ」とか何とか生意気にドラテク指南をしながら走ってたわけ。
ドライブ先は特に決めてなかったけど,何となく姫路方面に決定。
で,中国道を走って(当時は山陽道は未整備)姫路に着いたはいいけど,その先どこに行くというアテもなかったので,とりあえず定番のデートコース,姫路セントラルパークへ...
ところが。
入口のゲートを通って駐車場に入り,クルマを下りて,ふと隣の駐車場を見ると...何とそこで信じられない光景が繰り広げられていたわけ。
おとーさん,息をのんだまま,その場に立ちすくんで動けなくなりました。
いや,別にシマウマ200頭がパンツいっちょで縦横きちんと整列して,みんなでラジオ体操してたとか,そういうシュールな光景でもなくて。
だだっ広い駐車場の中にだーっと並べてあるのは無数のパイロン群。そこを,いつも峠で追いかけっこしてたシビックやCR-Xが,あっち行ったりこっち行ったりグルグル回ったり,とにかく猛烈なスピードで所狭しと走り回ってる。
色とりどりの競技車。
林立するパイロン群。
キラキラ光るフロントガラス,ハデなスキール音,信じられないクルマの動き。
夜の峠道とは全然違うホンモノのモータースポーツの世界。
こ,これがジムカーナか...
す,すげえぇぇ...
カッコええ...すげえカッコええ...((((゜Д゜;))))
実はおとーさん,この時点で既に森田名人の本*は愛読してましたし,「ジムカーナ」に興味津々だったんですが,実際のジムカーナの走りを見るのはこれが初めてでした。
*森田名人の本: 「クルマ自在 極限テクニック」というジムカーナの入門書。名書。
この本を読んでジムカーナを始めたという人は多い。
この本を読んでジムカーナを始めたという人は多い。
もう,その場に釘付け。
横でカノジョが「早う行こうよ!もう!」と怒ってても,そんなのは耳に入らない。
これだよ...これ。
オレもやろう。ジムカーナやろう。
もう"峠"なんて危ないだけのガキの夜遊びは卒業。
これからは本物のモータースポーツだよ。ジムカーナだよ。
何とかローンでクルマ手に入れて,ジムカーナを走るぞ!
以前のdiaryにも書きましたが,これがおとーさんとジムカーナとの衝撃の出会いでした。
・・・・・・
よーし! ジムカーナやるぞ!
固く決心したおとーさんがまず向かったのがクルマ屋ではなく本屋。
ちょっと前から気になってた「スピードマインド」という雑誌を,今日は立ち読みではなくスパっと購入。家に帰ってからジムカーナ関連の記事をくまなくチェックします。
スピマイのその号にはちょうど「'92年ジムカーナAVクラス最新トレンド」っつー題名で,A3クラスの主流車だった"MR2"の特集が載ってました(ちょうどII型のSW20に切り替わったとこね)。
...初代インテが事故った後,とりあえず中古のATオヤジ車に乗ってたおとーさんですが,そんなクルマではとても競技は走れないので,何か競技のベースになるようなクルマを手に入れないといけません。
当時速かったのは,A1クラスではシティ,A2クラスではCR-X,そしてA3クラスがMR2。
正直,シティやCR-Xにも興味はありました。特にCR-Xは,その速さを夜の峠でいつもイヤというほど見せつけられてましたからね。
でも"MR2"というクルマに,おとーさん,もともと強い憧れがあったんすよ。
ちょうど型式がAWからSWになった初代のMR2が発表になった時,おとーさん,展示車の運転席に乗ったことがあるんですよ。非常にタイトなコックピットに収まって,うぉぉぉぉ! カッコええぇぇぇ! でもめっちゃ狭ぇぇぇ(笑)! いつかはこんな「乗り手を選ぶ」スポーツカーに乗ってみてぇぇぇ! って密かに萌え萌えだったんですよね。
もちろんその時は大好きな初代インテに乗ってましたから,わざわざ乗り換えるなんてことは考えませんでしたが,その初代インテも峠で星空に散ってしまいました。
おおそうか,やっぱMR2か,よーし,じゃいよいよこいつに乗ってやろうじゃん,って自然になるわけですよ。つまり,スピマイの特集を見るまでもなく,既にほとんどMR2に決まってたと(笑)。
そして,MR2に乗る,と,そう決めた次の日には,仕事をサボって近所のクルマ屋にハンコ持って走り,ほとんど頭金も値引き交渉もなしに「男の48回」ローンでもってMR2(SW20)を新車で購入しちゃったわけですな。
姫路でジムカーナを見てガビーンと衝撃を受けてから実際にMR2に乗り始めるまでまあ,1ヶ月も経ってたかどうか。ええ,アホですよ,そうですよ ヽ(´ー`)ノ
・・・・・・
ということでMR2(SW20)GTSに乗り始めたおとーさんですが。
本当に素晴らしいクルマでしたね。
素晴らしく速い。
素晴らしくトラクションがかかる。
でも限界域のコントロールが素晴らしく難しい。
そして素晴らしくリアタイヤが減る(泣)。
メンテにも素晴らしくお金(工賃)がかかる(大泣)。
でもでも素晴らしくカッコいい。
素晴らしく絵になる。
素晴らしくその気にさせてくれる。
そして素晴らしく狭くて不便!!!(笑)。
センターコンソールが素晴らしくでかくて,いざという時,助手席にのしかかれない!(爆)。
「スポーツカー」というもののいい所と悪い所を両方ともかなり極端な形で体現している,名実ともにスペシャルな素晴らしいクルマでした。「スペシャル」の程度で言えば,不惑インテ号でも及びません。MR2と比べればDC2インテグラ・タイプRですら「乗用車」ですよ。
この素晴らしいクルマに乗って,おとーさんはジムカーナへの挑戦を始めました。
おとーさんがメインに参戦していたのは,当時TOYOタイヤが主催で土曜日に行われていた「気分はジムカーナ」93年シリーズ。この恥ずかしいネーミングどうにかならねーかなと,当時既に思ってましたが,同じ意見の人が多かったようで,確か翌年から「サタデーシリーズ」という真っ当なネーミングに変わりましたな(笑)。
このシリーズはあくまでクローズドの競技でしたが,土曜日に行われていたため,ジュニア戦(当時のミドル戦)の上位陣がこぞって出場,何気にレベル高かったです(泣)。ただ,土曜日に行われる関係でエントリー台数は比較的少なくて,A3クラスのエントリーはだいたい20〜25台程度とジュニア戦の半分ぐらい。公式戦では入賞できない人でもがんばればチャンスが回ってくる「美味しい」シリーズでした。
おとーさんは,とりあえずTRDのショックとRIGIDのブレーキパッドを入れて,スプリントハートのホイールにDUNLOPのD93JというSタイヤを履いただけのライトな仕様で参戦。初めての参戦(名阪ABコースでした)で25台中10位に入ってシリーズポイントを1点だけもらい,「お,俺って才能あるのかも」とお決まりの勘違いにハマルわけです(笑)。
もうこうなるとジムカーナの虜。寝ても覚めても考えるのはクルマと競技のことばかり。
仕事やカノジョの存在なんてそっちのけで,稼ぎは全てクルマにつぎ込んで,毎晩走る走る。
特にタイヤ代は湯水の如く使いました...
※昔の名阪Cコースですよ。知ってる? これはイトウ工業コーナー方面ね。
努力の甲斐あって,その後もとりあえず10位以内に入ってポイントを重ねることができ,特にビスカスの純正LSDから機械式のLSDに変わった時点でポーンとタイムが上がって,4位入賞と表彰台まであと一歩のところまでたどり着きました(エントリー数の多いジュニア戦では真ん中あたりをウロウロするのがやっとでしたが)。
しかし,実はこのあたりから妙な空しさを感じるようになったんですな。
結局この世界,速くなるのは「お金がある人」なんじゃないか,って。
何だ,ジムカーナって結局,金次第じゃん,って。
もちろん,クルマをほとんど頭金なしに新車で買ってローンをガンガン払いながら,改造もイチから進めながら,その上で実戦にもどんどん出ながら,っていうのがそもそもの間違いなんですけどね。そりゃ,いくら独身でクルマにどんどんお金使ったって誰にも文句言われないっつっても限度ってモンがある。実際,お金は飛ぶようになくなって行きました。
普通は,クルマは中古車で安く現金一括で買うとか,改造はもっとゆっくりゆっくり進めて行くとか,実戦参加はもうちょっと少なくするとか,もうちょっと競技生活のプランというものを考えるでしょう。でも若き日のおとーさんは,「俺って才能あるかも」っていう大きな勘違いもあって,全てを一気にジムカーナにつぎ込んでしまった。その結果,徐々に資金繰りに行き詰まって,伸び悩むタイムを「お金の有る無し」に責任転嫁するようになってしまったわけですよ。
おバカですね。
貯金はとうに底を突き,シーズンオフのメンテをするお金もない状態で,とりあえずシリーズ最終戦も何とか10位にすべり込み,シリーズポイントをセコク積み重ねてA3クラス・シリーズ6位に入ることはできました。でもこの時点でもう気持ちはかなり擦り切れてました。不完全燃焼のままで燃え尽きたって感じでしょうか...
・・・・・・
そしてちょうどこの頃,件のカノジョと,そのままゴールインするかどうかを決めなければならない,そういう状況になってたんですな。いや,別に「できちゃった」わけじゃないぞ。それぞれのタイミングの問題ね。カノジョは大学卒業して就職するかどうか,おとーさんは大学院に進学して研究生活に入るかどうか,そのへんの人生の選択肢もからんでたわけで。
もし結婚するとなると,式は翌年の秋の予定。で,結婚するためには当然お金が要る。タイヤなんて買い込んでる場合じゃない。LSDのオーバーホールなんてやってる場合じゃない。結婚するんだったら潔くジムカーナは止めて1年間しっかり結婚資金を貯めないと。
つまり,
1.ジムカーナやめて結婚する。
2.結婚やめてジムカーナ続ける。
どっちにする? てことで。
...... (´・ω・`) ......
もちろんおとーさんは,カノジョをとったわけです。
ジムカーナをとりあえず1年やってみただけの,まだ何にも分かってないくせにカンチガイ野郎のおとーさんは,生意気にも「ジムカーナに疲れた」みたいな心境もあって,ジムカーナを簡単に止めてしまいました。クローズド競技では入賞できたものの,公式戦では鳴かず飛ばずでポイントすら取ってなかったのに,あっさり諦めちゃったんですよね。
今でも時々思います。あのまま競技を続けてたらどうなっただろう...って。
たぶん,今の嫁さんとは結婚してなかったでしょう。それぞれ全然別の人生を歩むことになってたかもしれません。この選択に関して,おとーさんは後悔
そして,競技車としてやっと完成したばかりのMR2は壮大な「宝の持ち腐れ」となりました。
っつーか,新婚夫婦がほのぼの乗るファミリー車じゃねーよ!絶対!
ジムカーナ用のショックもフルブッシュもエンジンマウントも,機械式LSDもSタイヤも,ただ単に乗り心地悪いだけ。フルメタルのパッドもキーキーうるさいし,雪道をチェーン巻いて走る時には危ないだけ(っつーかこんなクルマで雪道走るなよ)。
もったいない,実にもったいない。
※新婚旅行で金沢に行った時の写真。しかしいくら貧乏つっても新婚旅行が金沢って...
いったんはジムカーナをやめて結婚を選択したおとーさんですが,しばらくするうちにじわじわ後悔の念が出てきます。いや,結婚自体は後悔
...あんな情けない中途半端な成績のままで止めちゃうの?
...何とか年間表彰にはすべり込んだけど,結局,表彰台にも乗ってないし,公式戦ではノーポイントでしょ?
...お金がないから速くならない,とか言うけど,問題はやっぱり「腕」っしょ?
...お金があんまりなくっても,金銭的に無理のないペースでぼちぼちやっていけば,いつかはもちっと結果出るんと違うの? いくら何でも焦り過ぎてたんじゃないの?
しかし後悔先に立たず。
新婚生活というのは何かとお金が要りよう。また,身分的には大学院生になったおとーさん,収入が大きく減って,とても「競技再開さしてくりや」なんて言える状態ではない。
そして,結婚して1年ほどすると...そう。
お子様が。
MR2には3人目の人間を乗せるスペースはありません。
いや,スペアタイヤのスペースとかトランクならわずかにありますが,普通,そんなところに大事なお子様を乗せるわけにも行かず。
万事休す。
それでも嫁さんのお腹がパンパンに大きくなるまで,出産のホント直前までジムカ仕様のMR2に乗り続けました。手放すのがあまりに悲しかったから。
MR2に乗ってるといつも,嫁さんの腹の中でガキがドコドコ動きまくってました。
喜んでたのか,苦しんでたのか分かりませんがね。
実際,途中で1回早産になりかけましたし ((((゜Д゜;))))
・・・・・・
今から思うと93年の成績は,中途半端な成績ですが,競技参戦1年目にしては我ながらよくがんばった方だと思います。特にシリーズ前半は,ジュニア戦に並行して出てる周囲のガチAV車両に対して,こちらはLSDも入ってない仕様でしたからね。
...ただ,あまりに急ぎ過ぎた。
そんなに焦らず,もっとのんびりやってれば,競技に燃え尽きてしまうこともなく,貯金が底を突くこともなく,結婚生活と競技生活を両立する道もあったかもしれない。
それでも,子供ができた時点で乗れなくなるのは,MR2というクルマの宿命ですが。
「速さ」は,お金の有る無しではなく,才能の有る無しでもなく,焦らずに走り続けることで得られるものだ,大事なことは「続けること」だとおとーさんが分かったのは,もっともっと後年のこと,長〜いブランクを経て,不惑インテ号と出会ってからになります。
...いや,今もまだちゃんと分かってないのかな...
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