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4年の歳月は何を変えたか 〜その1〜


はろー!!

みなさまお久しぶりです。


思い起こせば2014年の梅雨時のセントラルサーキット,あれが最後のガチ走行でした。

精神的にも体力的にも金銭的にも無理を押して続ける形になっていたレース活動。それでも必死で走り続けてはいましたが,いろいろ「もう無理!」っていう出来事が重なり,とうとうそれが限界を越え...何かをコトンと机の上に置き,ガチで走ることからきっぱり足を洗いました。

気が付けばあれからもう4年半。


もちろんその後もほぼ毎日クルマには乗ってますし,運転は大好き。お酒を飲む予定さえなければどこに行くのもクルマに乗って行きます。

でもあのコンマ1秒でしのぎを削り,ライバルと数センチのところでギリギリの駆け引きをする,そういう世界からは本当に遠くなってしまいました。

ああ,サーキット。うん,昔,走ってたよ。

今は善良なゴールド免許ドライバー。ごくごくお気楽に,のんびりと運転を楽しんでます。


もうサーキットなんて走ることはないだろな...

メットやスーツ,レーシングシューズも押入れの肥やしだしそろそろ処分しようかな...

もらったトロフィーやJAFメダルも,こんなに並べててもしょうがないし,もう捨てようかな...

そう思いつつ,何となく捨てるに捨てられず1年,2年,3年。


そんなある日。

おとーさんの元に知らない方からメールが届きました。

誰これ? また新種のスパムかな?

一瞬よく読まずに削除しかけましたが,丁寧な挨拶,きちんと整った文章,高い知性を感じる言葉使い,あ,これはスパムじゃないな。落ち着いてよく読みます。


え,何? 何だって?


そこに記されていた内容は,何と,

耐久レースのドライバーの一人として一緒に走りませんか?

というお誘いでした。


しかも乗るクルマはデミオ。

さらに言うと,その個体は,JAFカップや全日本でデミ助としのぎを削った,M田さんのあの有名な白いデミオ。何度もクルマ雑誌の表紙を飾ったあのデミオ。日本のモータースポーツ史に残ると言っても過言ではないあのクルマ。チームにはその当のM田さんもいて,一緒に走ることになる。


もう嬉しくって嬉しくって,

「乗ります! 乗せて下さい!」

あーあ,言っちゃったよ(笑)。


しかし,後になって現在の自分の状態について冷静に考えてみると...

競技を引退してもう何年も経ち,タイム云々,駆け引き云々どころか,どう考えても30分以上サーキットを周回できる体力がない。

体重こそあの頃から2kg増えたかどうかだけど,体脂肪率とお腹周りはガッツリ増えた。要するに筋肉がげっそり落ち,入れ替わって大量の脂肪がむっちり身についた,そういうこと。

車体がスピンモードに入った時にステアを振り回してクルマを立て直す腕力も俊敏さもない。平衡感覚や動体視力も落ちた。全力で走りながら,周りのクルマの動きを見ながら,いろいろなことを考える思考力もたぶん落ちた。

何よりデミ助を手放してからずっとオートマ車しか乗ってない。

ずっとイージーに左足ブレーキ踏んでるから,右足で本気のブレーキを何年も踏んでない。っつーか,それ以前にクラッチにもシフトペダルにも全く触れてない。


つまり,かなり劣化の進んだ情けない状態(笑)。

運転能力も,ほぼ一般人のオジサンのレベル。

これで,こんなんで,他人様の大事な愛車をサーキットで全力で走らせて良いのか...?


だいぶ迷いはありましたが,でももう「乗ります」と答えちゃった。それにチームで走る耐久レースは昔からの憧れの一つ。走りたい,走りたい。それにM田さんのあの白いデミオに乗って走る。元デミオ乗りにとってこんなに名誉なことがあるか?

とにかくやれるだけはやってみよう! 必死でリハビリすればなんとかなるよな?なるよな?

不安より,走りたい,乗りたい気持ちが勝ちました(笑)。


チームが追っているシリーズは,マツダファン耐久レース,略して「マツ耐」という,デミオ乗りには馴染みのレースです。

参加できるのはマツダ車限定で,メインの車種はデミオやロードスターですが,RX-7はもちろん,アクセラ,アテンザ,旧いところではランティスなど,いろいろな車種が出場します。ドライバーは4人までOK。

厳密に言うとスピードを競うものではなく,150分間給油なしでサーキットを何周できるかというエコラン的な耐久レースですが,デミオに関してはチンタラ走ってるとガソリンが余ってしまうので,半分ぐらいの周回は全開走行です。しかも全国の有名サーキットを転戦しながら年間6戦で争われる歴としたシリーズになってます。


本当なら菅生や筑波などにも行ってみたいところですが,本業や音楽活動が忙しく,参加できるのは岡山国際サーキットと富士ぐらいかな,ということでお返事していたのですが,最初の年は全くスケジュールが合わず参加断念。しかし今シーズン11月の岡山国際は,自分が予定を調整すれば出場できるかな,という日程だったので参加を表明。


さあとうとう4年半ぶりのサーキット復帰。

岡山国際を走るのはちょうど5年ぶり。

いろいろトラウマのあるサーキットだけど走るんだな? 本当に走るんだな?(笑)


・・・・・・


M田さんデミオ疾走中
※デミオ疾走中!


他人様の大事な愛車を運転させてもらうわけですから,最低限,クルマを壊さないように走れないといけません。

また耐久レースはチームで走るものですし,シリーズチャンピオンも視野に入れてシリーズ上位を走っているチームなので,コースアウト→リタイアとか,チームの足を引っ張ることのないレベルでキチンと走れないといけません。

リハビリだ! 必死でリハビリだ! リハビリするんだ,ジョー!!!


しかし本業は超・忙しく,しかも音楽活動もこの秋は非常に多忙(3回もステージの予定あり)。いつからリハビリ始めるんだ,どうやってリハビリするんだ。

とりあえず3ヶ月前からは始めておかないと絶対に間に合わないと直感。8月のお盆の辺りから,もう何年もやってなかった筋トレを,とりあえず再開しました。


筋トレと言っても,闇雲に全身の筋肉を鍛えてもしょうがない。とにかくサーキットを走るために必要で,しかも引退後激しく劣化している自覚のある部分から始めよう,ということで最初にやり出したのが,手首にウェイトをつけてのロックトゥロック。

元々,不惑インテ号でサイドターンをする際にあまりの腕力のなさを自覚して始めたこのトレーニング。

最初は500gから,1kg,1.5kgと増やして行って,最終的には両手首に2kgのウェイトを着けた状態で往復1時間半ほど,通勤で毎日運転してました。

そして信号待ちなどで停まる度に,実際にはステアを動かさず,ステアに沿ってステアを撫でるように手を動かしてロックトゥロックの動きをする。時々はどこかにクルマを停めて実際にロックトゥロックをやる。


バカバカしいトレーニング方法ですが,ステアを素速くたくさん回せるようになるために,上半身筋肉レスのヘナチョコ親父にはかなり有効でした。

かつてこのトレーニングをみっちり数年やったおかげで,サイドターンも人並みにはできるようになりましたし,サーキットで100km/h以上からタコってもどうにかコース内に留まることができるリカバリー能力を身につけました。


ただ,劣化した老体に2kgのウェイトではさすがに手首や肩を傷めるので,今回は1.5kgのウェイトまで。職場が変わって通勤時間は以前と比べだいぶ短くなりましたが,それでもとりあえず通勤の行き帰りには両手首にウェイトを装着して,信号で停まる度にしっかりロックトゥロック。これをできるだけ毎日やります。

そして後は普通に腕立てとかダンベル上げとかやって,とにかく腕,特に肩から上腕の筋肉をリハビリしました。

年寄りの悲しさ,ちょっと無理をするとすぐに関節や筋を傷めてしまいます。筋力云々よりも関節等を傷めてしまうことの方がよっぽど怖い。そのため,逸る気持ちを抑え,3ヶ月かけて少しずつ少しずつ負荷を高めて行くようにかなり注意しました。どこか傷めてしまったら回復も遅いからね,ジジイは。


次に重視したのがペダル操作をする下腿の筋肉。

普段オートマ車に乗っても常に左足ブレーキを使っているため,全く足を使ってないわけではないですが,サーキットを走る際の足の使い方はレベルが違う。そのため,現役時代もとにかくつま先立ちのトレーニングはよくやってました。

壁に片手をついて身体を支え,片足を上げてもう一方の足に寄せ,片足立ちの状態でしっかりつま先立ちを連続50回,足を換えてまた50回,それをできれば3-4セット。


久々にやり始めてからしばらく,明け方に何度もこむら返りを起こして飛び起きヒーヒー泣きましたが(笑),これもどうしても必要なリハビリ。こむら返り止めの漢方薬をのみながら必死でつま先立ちを続けます。

そして,つま先立ちだけでは足の片一方の動きしかしていないため,足先を上げる方向のトレーニングも必要。これは足先を机など家具の下の隙間に突っ込んで,足先を上げる方向に力を入れる,というのを連続50回,足を換えてまた50回,それをできれば3-4セット。


体幹も侮ってはいけません。いかにハーネスでシートに固定されてると言っても,Gがかかった時に身体がぐにゃぐにゃだと,四肢に余計な力が入って,スムースな操作ができません。四肢の筋肉も起始部は体幹にあるわけですし。

ということで腹筋,背筋も,これは通常の方法でトレーニングをします。シックスパッドとか持ってますけど(笑),筋トレにはあまり役に立ちません。スクワットも普通にやります。

あと,握力も大事だと思いますが,これは楽器をやってるせいかそんなに劣化はしていないようで,わざわざリハビリはしませんでした。


体力的なリハビリはこんなもんでしょうか。

とにかくおとーさん的には,上半身の筋力が元々弱く,劣化も激しかったので,上腕周りのリハビリを一番やりました。サーキットでも,いやサーキットだからこそ,いざという時にステアを速くたくさん切れることが絶対に必要です。自分のリカバリー能力に信を置けなければスロットルは踏めませんし,踏んではいけません


・・・・・・


体力面のリハビリはまあこれぐらいとして,肝心の車両感覚や限界域での車両コントロールはどうやってリハビリするのか。問題はこれ。

鈴鹿南とか鈴鹿ツインとか,現役時代にちょくちょく練習に行ってたミニサーキットの平日の走行枠で実際に走れたらこれが一番のリハビリになるでしょう。ただ,この秋は本当に公私共々極めて多忙で,休日には全部何か別の用事が入ってる。とても走りに行くことはできない。

といって峠でタイヤを鳴らすのも,いい歳したオヤジがやることではない。まあせいぜい仕事帰りにちょっと寄り道して,近所の峠を軽く流すぐらい。限界域には程遠い。


とりあえず,これも昔よくやっていた,「タイヤの接地感を研ぎ澄ますトレーニング」,これを再開しました。

具体的にどんなことをやるかというと,クルマを適度なスピードで走らせながら,目の前の路面をじっくり見て左右の前輪がこれからどこをトレースしていくかイメージし,タイヤが拾う路面の凹凸やうねりを予想して,実際の振動や音やうねりと一致させていく,という言葉にするとワケの分からないトレーニング(笑)。

よく通る通勤路とか走り慣れた峠道とかで,マンホールとか,路面の小さい穴とか,そういう分かりやすい凹凸を目印にして,左右どちらかの前輪がそこを通る時の振動や音やそういった「接地感」をイメージし,予想し,そこに神経を集中させた上で,実際にタイヤが拾った接地感と照合していく。

要はそういう作業を通じてタイヤの接地感に神経を集中し,「タイヤの気持になる」というか(笑),「タイヤと一体になる」というか(笑),そういう感覚を研ぎ澄ませていくトレーニングです。


これを毎日やってると前輪の接地感だけでなく,後輪の接地感もちょっとずつ意識できるようになります。それに車両感覚というか,4本のタイヤを思ったところに持って行くトレーニングにもなります。

クルマを操る上では,「タイヤをどこにどんな向きで持って行くか」=「車体がどこをどんな向きで通過して行くか」ですから,これがキチンとできるようになれば,後は自分の頭の中で元になる最速の走りをイメージできればOK,ということになります。


そしてこの「最速の走りをイメージする」ためにやるべきことは,当たり前ですが「イメトレ」です。

岡山国際サーキットはデミオでかなり走りました。当時の車載動画もたくさん残ってますので,これを片っ端から見て,自分の頭の中でそれをそのままのタイムで再生できるようにイメトレを繰り返します。

1ラップは2分ちょっとありますし,もちろんぴったり同タイムなんてことは無理ですが,がんばれば誤差数秒ぐらいで(脳内で)走ることができます。何度も何度も繰り返すうちに,当時の走りの感覚が,ちょっとだけ蘇ってきます。


もちろん動画を見てるだけじゃ目と耳からだけの情報なので,身体に感じるGや振動なんかは全くありません。実際の走りには程遠いものですが,それでもやらないよりはやった方が良いに決まってます。現役の時にもこうやってイメトレは必死でやってました。

マニュアル車自体にもう長いこと乗ってない状態。ステア操作,シフト操作,ブレーキング,そして車体と4本のタイヤの動き...イメージする事項はいっぱいあります。これらを頭の中でイメージしながら脳内で岡山国際サーキットを走り込む。数ラップもすればもう本当にグッタリします。


※一番速く走れていた頃の車載動画を見てイメトレ


こんな風なリハビリを筋トレと並行してぼちぼち進めていきます。実際に限界走行ができない分,頭を使ってあの手この手でやるしかない。

お盆頃からぼちぼち始め,肩周りの筋肉がちょっと戻って来たかな,つま先立ちをハードにやってもこむら返り起こさなくなってきたかな,っていうぐらいでもう11月になってました。



<続く>






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