その後のこと
デミ助が新オーナーさんの許に嫁いで行ってからもう3ヶ月が経ちました...っつーか,気が付いたらまた,もう年末ですなあ。
とりあえずその後のことをポツリポツリ,思い出しながら綴っていきたいと思います。
6月のラジチャレを最後に競技参加を止め,デミ助売却を決めたのが7月。嫁ぎ先募集の記事を書いたのが8月初めでしたかね。
土系の競技をされている方からご連絡をいただき,価格交渉などを経て売却が決まったのが8月下旬。そこから半月ほどあれこれと嫁入りの準備をしました。
いっぱい貼ってあったステッカーを1枚1枚剥がし,ボディーにコンパウンドをかけてキレイにしました。ジャッキアップして大きなメカニカルトラブルがないことをもう一度ざっと確認。
平日の休みの日に陸運に行って書類をもらってきて,引き渡し側の欄に記入。印鑑証明も取ってきました。
すっぴんに戻ったデミ助...いや,ボンネットはカーボンのままですが。
引き渡しは9月の中旬。
バケット2脚やカーボンボンネットなど大物も含め全て現状のままで引き取ってもらうことになったので,純正パーツがハンパない容積になります。これを小さいデミ助に全部積めるのか?
最後の数日間は荷物との格闘でした。
純正シート2脚をどのように積んだら一番容積を詰められるのか,純正のブレーキ一式はどこに積むか,純正のサスはどうやって梱包しようか...もう売却の決まったクルマですから手荒に扱うわけにはいきません。いろいろ頭を悩ませ,何度も荷物を積んだり下ろしたりを繰り返し,結論が出ました。
とても全部は積めねえよ(笑)!
ところが,ちょうど次オーナーさんからも連絡があり,少し大きめの積車で遠路はるばる来て下さることが判明。ということで純正のボンネットやタイヤ,ホイール類は積み車の空いたスペースにボンボンと載せてもらうことにして,やっと荷物の段取りがつきました。
最後の晩。もう12時を回ってたと思いますが,お気に入りの芋焼酎のボトルを手にガレージへ下りて行き,シャッターも閉めてデミ助に乗り込みます。
家族に白い目で見られながら,よくこうやって夜中までガレージにこもってあれこれ作業してたなあ。芋焼酎をストレートでちびちび,カーステでお気に入りの曲を小音量で流しながら思い出に浸ります。
不惑インテ号を喪った心の痛みをこの可愛らしいお買い物車が癒やしてくれたこと。しかしパーツが開発されるにしたがってこいつがとんでもないポテンシャルを発揮しだしたこと。
こいつに乗って久々に競技に復活,かなり苦戦した後にやっと勝てた時の涙。お気楽に参加した全日本でまさかの優勝を果たした時の喜び。
しかし再びブランクを経て復活した後は全く勝てず,悔しくて流した涙。他にもジムカーナ自体がキライになってしまいかねないぐらいのイヤな出来事がいろいろ。
思い切ってサーキットに走る場所を移し,再びクルマいじりの喜びが復活。そして草レースながら何とかシリーズチャンピオンをゲット。しかしそれとひき換えに相次ぐもらいクラッシュで戦意と結構な額のお金を喪失。
...このクルマに乗って以来のいろいろな出来事がまさに走馬燈のように駆け巡ります。
免許をとって30年余。それなりにスポーツ系のクルマを乗り継ぎ,モータースポーツにも参加してきましたが,自分にとってのベストワン車がVTECでもロータリーでもハイパワー4駆でもなく,この定価136万円のお買い物車であったというのはちょっと意外。でも結局,このクルマが一番,自分の運転の技量に見合っていたということなんでしょうね。
オーダーメイドのスーツのように自分の手足にピッタリのクルマ。そんな風に自分の身の丈にピッタリ合ったクルマに出会うことができた,それはひょっとするととても幸運なことなのかもしれません。
おとーさんもかつてはハイパワー車を振り回すのが大好きでしたし,どちらかというと後輪で車体をグッと前に押し出すようなクルマが好きでした。
このデミ助に乗ることになったのは,FINEARTの社長さんが「小さいクルマも面白いで」と勧めて下さったことや,中部地区でS1500が盛んになっていたこと,そして実際に試乗してみてそのルックスと素直な動きに惚れ込んだことなんかがきっかけですが,いつまでもハイパワー車にこだわってたら今の自分はなかったなと思います。ひょっとしたらもっと早くに不満足な形でモータースポーツを止めてたかもしれません。
このクルマを作ってくれたマツダの人たち。このクルマに乗るきっかけを与えてくれた人たち。
そして具体的にこのクルマを仕上げてくれたFINEARTさん,AZUR星人さん,その他いろいろなショップの方々。
ライバルとして一緒に走ってくれた近畿S1500のみんな,コペン君などラジチャレの仲間,そしてクラブのみんな,hirobot師匠や野宿先生,taroアニキ,bingさん...
数えきれないほどたくさんの人たちに感謝を捧げながら,おとーさんとデミ助と2人っきりの別れの宴は,いつ終わるともなく深夜までずっと続くのでした。
翌日,遠くから積車に乗ってデミ助を引き取りに来て下さった新オーナーさんはとっても紳士な人で本当に安心しました。この人ならデミ助を可愛がってくれるでしょう。そしてしっかり仕事させてくれるでしょう。お土産までいただき,本当にありがとうございました。
さあ,いよいよ別れの時。
積車に乗せられたデミ助は何だかいつもよりも小さく見えます。
別れの挨拶を済まし,走り出す積車。荷台の上の小さなお買物グルマを,街角を曲がって見えなくなるまでずーっと見送ったおとーさんの顔が涙とハナでぐちょぐちょになっていたことは言うまでもありません(恥ずかしいオッサンや)。
その数日後,同じマツダのアクセラ・ディーゼルターボが空いたガレージに納車されました。これはこれで気に入って買ったわけですが...嫁さんも乗れるようにAT車。もうモータースポーツをやるクルマではなくなってしまいました。しかも嫁さんから改造厳禁令が出されてます(笑)。もう無理ぽ。
現在,デミ助の代わりにおとーさんが愛情を注いでいるのはコイツ。
そうこれはベースギター。リッケンバッカー 4003という,見ただけで「ああ,あれか」と反応して下さる方もいるんじゃないかという結構有名な機種。コイツが今のおとーさんの相棒。
モータースポーツを事実上卒業したその次におとーさんが人生の目標にしているのは,これまた若い頃に中途半端なまま止めてしまっていた音楽活動を再開し,もう一度きちんと人前に立つこと。
あ,いや,これまでもずっと友人達と細々スタジオには入ってましたが,ライブに出るとかはなく,自分達で遊んでるだけでした。
もう一度きちんと曲をやり,できれば自分達のオリジナル曲で定期的にライブに出る,行く行くはインディーズレベルの活動ができればいいな,それがおとーさんの今後の夢の一つです。
→おとーさんのバンド「九九五式」の公式blog
デミ助はきっと幸せな第二の競技車生活に入っていると思います。
別れをいつまでも嘆いていても仕方ありません。
おとーさんは今後も歩いて行きます。
来年はいよいよ音楽活動を本格化させる予定です。ただ,今後もクルマには乗り続けますし,何らかの形でモータースポーツにも関わり続けて行きたいと思ってます。
今年も除夜の鐘が鳴ってます。ベースを弾きながらの年越しです。
みなさま,今年もいろいろお世話になりました。どうぞ来年もよろしくお願いします。