南の島へ行こう 〜その1〜
子供達が春休みに入った先週末から4日間ほど,家族で南の島に行ってました。南の島と言ってもそんなにオシャレな所へ行くわけもなく,家族旅行の定番,グアムですけどね。
...とはいえ,久々の海外旅行。
実はウチの家族は北米大陸に住んでおった時期もあるのですが,日本に帰国してもはや10年。その間,国境を越えることは一度もなくパスポートも既に失効。したがって今回はパスポートの取り直しからスタートで,チケットの手配なども段取りを忘れてて大変でした。
しかも前日の夜遅くまできっちり仕事をしていたため,当日朝までドタバタ。やっとのことで関空から飛行機に乗って機内食でワイン飲んだら疲れが出て思いっきり寝てしまいましたよ(笑)。
しかしそんなに長く寝てる間もなくグアムに到着。近いのねグアムって。
噂には聞いてたけど,空港も街もホテルもいたる所で日本語が飛び交ってる。ここは本当に米国なのか...むしろ沖縄の延長のような雰囲気。
それもそのはずグアムの観光客の大半は日本人。以前と比べると韓国や中国,台湾からの観光客も増えたらしいけど,それでも日本からの来訪者が主らしい。
ホテルのチェックインもほとんど日本語でOK。そんなに英語がうまいわけじゃないけど,何となく気合入ってたのに拍子抜け。
到着したのは既に夕方,ホテルのレストランでビュッフェスタイルの夕食を済まし,もう早々に寝てしまいます。
翌朝は物凄いスコールで目が覚めました。
しかしこんなことでひるんではいられません。今日はいきなり今回の旅のメインイベント,レンタカーで島を1周です。
日本を出発前にクルマは押さえてあります。ホテルの中にレンタカーのカウンターがあり,ここで保険など簡単な手続きをします。ただ,ここのオバちゃんが珍しく日本語が全くアウトの人で,やっと英語の出番。それでも向こうの人の英語は独特の訛りがあり,こちらの意図は伝わるものの,向こうの話は何回も聞き直さないと理解できないことあり。
今回借りたクルマはミニバン。ホントはオデッセイが希望だったのですが,ホテルの駐車場でオバちゃんが「このクルマよ」と指したのは韓国KIA製のセドナというミニバンでした。ちょっとガッカリだけど,密かに「韓国車ってどんなのかな」という興味もあるし,まあいいか。
レンタカーですからクルマのあちこちに小さな傷や凹みがあります。内装も若干くたびれ気味。ただ各所の立て付けやチリの合い方などは特に問題なく,日本車と何ら変わりはありません。エアコンやステレオなどももちろん普通に動作しますし,クルコンなどの装備もきちんと作動します。
KIAという会社は元々マツダと非常につながりの深い会社だったそう。このセドナもV6ですしマツダのMPVあたりと共通パーツがあるのかなと思いましたが,90年代後半のマツダの経営危機の際にKIAはいったん倒産しており,その後はヒュンダイの傘下で以前のKIAとはほぼ別会社として再建してきているようで,今のマツダ車とは全然関係なさそうです。
オバちゃん立会いの下で車体の小傷をきっちりチェックして書類に記入,荷物を積み込んで駐車場からそろそろと一般道に走り出します。
10年ぶりの左ハンドル右側通行。最初はビクビクしてましたが,10分も走れば以前の感覚がよみがえって来て,特に違和感なく走ることができるようになりました。
周囲は6〜7割が日本車で,デミオやアクセラなども珍しくありません。古ーいガタガタのシビックなんかも走ってます。ただハイブリッド車は少なかったですね。
セドナのV6エンジンの低速トルクはなかなかどうして侮りがたく,信号で停まった状態からのスタート時には簡単にホイールスピンしてしまい,クムホのコンフォートタイヤから派手なスキール音が出てしまいます。グアムの舗装は独特でそもそも路面のグリップが良くないっていうのもあるとは思いますが。
どうも右のリアのハブがガタっているらしく,速度をあげると微妙に音や振動が出ますが,まあこんなのは気にしないで行きましょう。むしろウォッシャー液が完全にカラになっており,潮風でべたつくフロントガラスの方がよっぽど気になります(笑)。
・・・・・・
海沿いの幹線道路をぼちぼち南下して行きます。
最初に目指すのはタモン湾からちょっと南に行ったところにあるアサン海岸の太平洋戦争歴史公園です。
実は今回のグアムの旅でどうしても行ってみたかったのは,あの横井庄一さんの潜んでいた跡など,島中そこここに残る太平洋戦争の痕跡なんですよ。
もう少し北に位置するサイパンやテニアンと同様,ここグアムも大戦中は日本の領土になっており,戦略上大変重要な場所でした。米軍との熾烈な攻防の末,結局日本軍はこれらの島々から追い落とされ,そしてB-29が日本本土へ直接爆撃に飛び立つ基盤を与えてしまいました。
ここを奪われてしまうと致命傷になることは分かっていたため,上陸しようとする米軍を迎え撃つ日本軍の反撃は壮烈なもので,日本側がほとんど全滅したのはもちろん,米国側にも甚大な被害が出たといいます。
今なら肩を組んで一緒に朝まで酒を飲める関係にある2つの国の兄ちゃん達,おっさん達が,お互いを憎み合い,殺し合って,いっぱいいっぱい死にました。残念なことです。悲しいことです。
そして70年後の今。日本の周辺にはまた,きな臭い空気が漂っています。
普通の一般市民が「○○人はキライ」「○○人なんて人間じゃない」なんて口にします。ましてネット上で飛び交う言葉なんてひどいモンです。「氏ね」とか「頃せ」とかそういう極端な言葉が当たり前のように並んでます。もちろん相手側の国でも事情は同じでしょう。お互いさま。
当たりのことだけど,おとーさんは「日本」というこの小さな国が大好きです。
世界全体から見ると取るに足らないこんなちっちゃいちっちゃい島国が,それでも世界3位のGDPを弾き出し,世界3位の台数の自動車を造り,世界3位の数のノーベル賞をもらい(21世紀以降),国民みんなが好きな時に病院に行けて平均寿命は世界一,家電関係の特許数も世界一,挙句にはちっちゃいちっちゃい小惑星にロケット飛ばして砂粒持って帰ってくるんだよ,すごい国じゃん。
周囲を海に囲まれながら万年雪を頂く高嶺もあり,四季の変化が国土を変幻自在に彩り,その中に世界に誇る大都市あり,情緒あふれる田園あり,田舎あり,世界2位の高さのタワーあり千年経っても倒れない木造建築あり,も,何でもありの素晴らしい国。
だから本当にこの国が侵されそうなことになれば,おとーさんはこの国を守るために,家族を守るために,自ら武器をとって戦います。竹槍しかないというのであれば竹槍でいい。いや,さすがにそれは良くないか(笑)。
でもね,おとーさんには外国人のお友達もいます。
決して悪い奴らじゃない。一緒の音楽を聴き,一緒のテーマを研究し,一緒に酒の飲める友達だ。そして彼らは彼らで自分の国を誇りにしてる。自分の国が大好きだ。
じゃあ,おとーさんの国と彼らの国が「戦争」になってしまえばどうなるんだろう?
阪神ファンと巨人ファンのケンカなら(中日ファンでも可)サイアクでも殴り合い程度で済むだろうけど,国と国のケンカは殺し合いだよ。
...最近ね,よくそういうことを考えるんですよ。
それもあって,70年前にこの地で散った先輩たちの声を聴いてみたかった。彼らは何を考え,何を感じてこの地で戦ったのか。
そんなおとーさんの心の内を知るはずもなく不惑家のいつものメンバーは,久々に乗るミニバンの快適な車内空間にはしゃいでいます。いいなお前らは。ややこしいこと考えないで生きてられるから。
間もなくアサン海岸に到着。駐車場にクルマを停め,芝生を横切って椰子の木の並ぶ長閑な海岸に歩きます。こんな静かでのんびりした海岸が血で血を洗う凄惨な戦場になっていたなんて...本当に信じられない。しかし展示写真を見るとまさにこの海岸,この場所が焼け野原になっています。
嫁さん,子供たちは波打ち際でカニを追っかけて遊んでますが,おとーさんは一人,椰子の木の下で目を閉じ,心の中で合掌します。
耳を澄ましますが,聞こえてくるのはただ波の音と椰子の木立を渡る風の音だけ。
たくさんの男達は何のために戦い,何を思って死んでいったのか。何を守ろうとしたのか。
しかし誰が答えるはずもなく,ただ風がびゅーびゅー吹き過ぎていくだけです。
・・・・・・
さらに南へ...島をぐるっと周回する道路を辿って行きます。
この島に最初にやってきた欧米人,マゼランの記念碑などを通り抜け,南へ南へクルマを走らせます。
道はだんだん細くなり,アップダウンやワインディングも出てきます。いかにも南国といった風情の集落を抜けて行く場面もあります。
この島の歴史は侵略と屈従の連続でした。
インドネシアから舟で渡ってきたチャモロ族が独自の文化を発展させ平和に暮らす島に,スペイン人のマゼランが世界1周の途中で上陸したのが16世紀前半のこと。その後,スペインが勝手にこの周辺の島の領有を宣言し植民地化しました。
スペイン人は西洋の近代文明をこの島にもたらしましたが,西洋風の文化風俗を押し付け,チャモロ族の独自の文化を徐々に奪いました。特に17世紀になってからキリスト教が彼らの先祖崇拝を厳しく禁じたため, とうとうスペインとチャモロ族の戦争になり...もちろん南の島の島民が近代文明に勝てるわけもなく,10万人いたチャモロの民が5000人以下にまで減ってしまったといいます。戦争というより一方的な大虐殺です。
19世紀になるとアメリカがこの地を狙うようになり,スペインとの戦争に勝ってこの島を支配するようになりました。アメリカもまたこの地でどんどん近代化を進めました。そして20世紀になり太平洋戦争が起こると今度は日本軍が上陸。
ただ日本の支配は短く,数年でこの地を去ることになります。そして米国が戻ってきて...現在に至るわけです。しかしこの島は未だに米国でも「準州」扱いで,連邦議会での議決権はなく,大統領選挙にも参加できないそうです。太平洋戦争後,何度か独立の話はあったようですが,様々な問題から見送られ,現在の状態に甘んじているようです。そういった意味では,この島は21世紀の今もまだ植民地支配から完全には逃れられていないのかもしれません。
ベアー・ロック(熊岩)で記念撮影。島の南端をぐるっと回って今度は少しずつ北に向かいます。目指すはタロフォフォの滝,そこに横井さんの潜伏していた場所があります。
分かりにくい看板を目印に海沿いの幹線道路から山側に左折し,内陸の方に向かいます。周囲は徐々に火山大地の荒涼とした風景に変わります。NASAの人工衛星観測施設などを通り過ぎ,やっとタロフォフォの滝への小道が見えてきました。
〜「南の島へ行こう その2」へ続く〜