home > diary menu > 2013年 > 12月31日

人と人の間で走る 〜MFCT岡山・冬ラウンド〜


あれから3週間経って,もう12月も末。気が付けば年末。

あの日の夜遅く帰って来て部屋の隅に放り出したままになっていたバックパックを,やっと開ける気になりました。


レーシングスーツなど身に着けていたものも当日テキトーに突っ込んだまま中でぐしゃぐしゃになってます。一つ一つ取り出してカビたりしてないか確認し,洗濯機を回して陰干し,やっとあるべきところに片付きました。

これまた突っ込んだままになってた,当日のリザルトやトロフィー,メダルなんかも引っ張り出します。リザルトはちゃんとしわを延ばして整理ファイルに入れ,せっかくもらった優勝トロフィーは,ちゃんと他のトロフィーと同じところに飾ってあげます。ゴメンね,ひどい扱いして。

ああそして,最も見たくなかったのは,カビだらけになった菓子パン...などではなく当日の悲惨な様子を記録したカメラ。でもこのまま来年まで放っておくこともできません。とりあえず中のデータをPCに移して押し入れに片付けます。


何があったのか...

もうご存知の方もおられると思いますが,またデミ助を傷つけてしまいました。

しかも今度は9月にセントラルで負ったもらいクラッシュの比ではない重症。車体の左側全体に大ダメージを食らい,左フロントのアームも大きく曲がってしまいました。

いろいろな方に助けていただき,何とか明石の手前ぐらいまで自走で帰りましたが,そこでリタイア。とても高速道路を走れる状態ではなくなってしまい,某ロードサービスのお世話になった上,ファインアートの社長さんに積車で迎えに来てもらうことになってしまいました。そのままデミ助は今も入院中です。


自分のミスではない...自分には何も非はない...そう信じたいのですが,3ヶ月で2回もぶつけられるというのはお前にも何かあるんだよ,お前もヘタなんだよ,そう言われても仕方ないと思います。

でも,納得は行きません。

あの時,自分はどうすべきだったのか,どう走るべきだったのか,何度も何度も自問自答を繰り返しました。でも答は出ません。


・・・・・・

岡山国際のホームストレート,近づく1コーナー。

真後にはライバルの108さんがぴったり張りついてる状態で,2本目のセッションを走り始めてすぐだというのに何故か次から次から現れるバックマーカーを必死で1台1台かわし,もうあと1台,あの青いセダンをかわせばしばらく前が空きそうだというタイミング。


ホームストレートエンドでブレーキの早い青いセダンに一気に追いつき1コーナーにさしかかります。さあここでかわすか,ウィリアムズを過ぎてからにするか...と考えていると,青いセダンはインにつかずスッとアウト側に寄ってくれました...少なくともおとーさんにはそのように見えました。

「ありがと!」と軽く手を上げ,イン側を抜けさせてもらおう,そう思った直後,青いセダンは挙動を乱し,ものすごい勢いでスピンしながらコース中央側に戻ってきました。


もちろん精一杯ブレーキングしてコーナーのイン側に逃げましたが...逃げ切れるわけもなく。

ドカン!!

かなりの衝撃でした。

向こうのクルマの左リア周りがデミ助の左フロントに激しくヒット,向こうの左フロントがデミ助の左リアドア辺りにさらにぶつかったようです。


左のサイドミラーが折れてぶらぶらしてます。左のフェンダーの辺りから,何かがタイヤに擦れているようなイヤな音と振動がします。っつーかステアを右に120度ぐらい切らないとクルマが真っ直ぐ前に進みません。

当然ながらもうこれ以上は走れません。ここでリタイア決定です。

コースを外れてイン側の芝生の上を走り,コンクリートウォールの切れ目から外に出て,そのままノロノロとパドックに戻ります。ゴムが焼けるイヤな臭いがしてきました。やはりタイヤが何かに擦れているようです。

パドックの片隅にとりあえずクルマを停め,震える手でヘルメットをHANSごと脱ぎ捨て,シートベルトを外して車外に転げ出ます。とにかくこの目でダメージがどのくらいか確認しないと...よろめきながらデミ助の前を回って車体の左側を目にします。


グラっと大きく眩暈がしました。

左フェンダー辺りがべっこり凹み,タイヤがあさっての方向を向いてます。ダメージはフロントに留まらず,リアドアも大きく凹んでおり,左のドアは前後とも全く開きません。どう見ても一ケタ万円で修理できるケガではありません。っつーか,これは自走で帰れるかどうかも危うい。

思わずその場にへたり込んでしまいました。


何で...何で,こんなことになるんだ...

頭の中は疑問符でいっぱい。


2本目のセッションは始まったばかり。たしかまだ4周目。

2本目は1本目のタイム順でスタートできるために,上位にいれば,最初にバックマーカーに出会う5-6周目まではほぼクリアで走れるはず。

おとーさんの1本目は2分2秒フラットでグループ全体27台中の2位(デミオ勢での中では1位)。グループの2番手としてスタートしたにもかかわらず,何で計測開始から半周でもう最後尾のクルマに追いつき,その後も次々初心者さんを追い越しながらアタックしないといけなかったのか。

デミオはコーナーが速く,ストレートが遅いクルマ。だからどうしても追い抜きをかける時にはコーナーがらみになる。パワーのある他車種をストレートできれいにスパッと抜くなんてことはまずできない。後を全く見ていない初心者さんをコーナーでいかに安全にかわすか。これはなかなか難しい。

それでもこの日ここまでは慎重に慎重に走って,目の前でスピンされたのもちゃんとかわしていた。1本目でもこのグループは赤旗が出たりして荒れ気味ではあったけど,その中でも無難にタイムを出せてた。

それが何で,こんなところでこんな形でリタイアしてるのか...


しかもその青いセダンから降りてきたのは,何と,これまで何度も言葉を交わしたことのある親しいみん友さんだった...衝撃。どうしよう。言葉もない。

みん友さんは平謝りに謝って下さったけど...許すとか許さないとかの問題でもない。もう起こってしまったことは起こってしまったこと。「許さんぞ」と言って責めても時計の針を戻せるわけでもない。「お前がスピンしたんだから」と修理代を請求できるものでもない。これはモータースポーツ,コース上での出来事。結局,無理やりに気持ちを呑み込んで,引きつった笑顔を作るしかありません。


・・・・・・

それでも捨てる神あれば拾う神あり。

この日,何人かの神様がこの窮地から少しずつおとーさんを救ってくれました。


その一人目はハーフウェイの敏腕スタッフMさん。この日たまたま岡山に来られていました。

Mさんは「こういうの好きなんですよ」と笑って左フロントの大破したデミ助の下にもぐって懸命に作業して下さり,とりあえず自走できるようにしていただきました。本当にもうお礼の言葉もありません。


もう一人は同じクラブの織さん。こちらは女神ですね。

彼女のデミオからスペアタイヤを貸していただき,自前のスペアタイヤと合わせて左右のフロントをスペアタイヤに履き替えて,おかげで何とか普通のスピードでデミ助を走らせることができるようになりました。また彼女の笑顔が,おとーさんを心の激痛を和らげてくれました。本当にありがとう。


表彰式はもちろん手放しで喜べるものではありませんでした。

それでも1本目のタイムで辛くも同じクラスの織さんを振り切り,デミオのMOREクラスで夏ラウンドに続いて連覇ということになりました。密かに自信満々で狙っていたコースレコード更新は,残念ながらたった0.1秒及ばず,セナと同じページに名前を刻むことはできませんでしたが...


しかし,本当の戦いはこれから。

どうやって滋賀のファインアートまでこのクルマを運ぶか。どうやって家まで帰るのか。


最初から積車を頼むにはあまりにも遠距離です。せっかくMさんや織さんに助けてもらったので,とりあえず自走で帰れるところまで帰ろうと考えました。ファインアートに電話をして一応,積車の用意と代車の手配をしてもらい,さあ出発。

左フロントのタイヤは大きくトーアウト方向に向いてるので,ステアを右にいっぱい切って,タイヤを若干引きずった状態でゆっくりゆっくり走り出します。

最初はおっかなびっくりでしたが,それでも何とか80km/hぐらいまではスピードを上げられることが判明。下道で帰るか高速に乗るかかなり迷いましたが,とにかく高速に乗ってしまって,少しでも東に向かうことにしました。

80km/hで走る大型トラックの後にちんまりひっついておとなしくおとなしく走ります。途中のSAで何回も停まってタイヤの状態を確認します。龍野を通過,姫路を通過,加古川を通過,いつもの1.5倍以上の時間をかけてゆっくりゆっくり東進します。


しかし三木SAに入ったところで,無理に引きずった状態で走ってきた左フロントのスペアタイヤがとうとう終了。バスン!と大きい音を立てて空気が抜け,走れなくなってしまいました。そのままSAのパーキングにデミ助をよろよろと停めます。ああ,いよいよ万事休す。

右のスペアタイヤもかなり磨り減ってます。とりあえずこちらを左に履かせ,右フロントには普通のホイールを履かせます。左フロントはアームが曲がっているため普通のホイールは履けなくなってるので。

少しクルマを動かしてみます。一応この状態でも走れないことはありません。ただ,大きくバランスが崩れた状態であることは間違いなく,しかも早晩もう一つのスペアタイヤもバーストするでしょう。しかもその瞬間の状態によっては自分だけでなく,周囲のクルマを巻き込んだ事故に発展する可能性も大いにあります。やはりこれで高速を走るのはあまりに危険。

...もう無理。ここでリタイア決定。というかここまで走ってきただけでもかなりの無茶でしょう(汗)。


しかしまだここは明石の手前。滋賀まではあまりに遠過ぎます。

ということで,某ロードサービスをお願いすることになりました。事情としては微妙ですが,路上で困っていることには違いありません。とりあえずこのロードサービスで50kmほど東に進み,そこでファインアートからの積車と待ち合わせることになりました。

このロードサービスの電話オペレーターさんの対応はあまり褒められたもんではありませんでした。とりあえず1時間ほどで積車が来てくれることにはなりましたが,積車には同乗はできないため,自分はタクシーを呼んで並走してくれとのこと。もちろんタクシー代は自腹。ここまではしょうがない。

しかしその教えてくれたタクシー会社の番号がどれもこれもデタラメで,何度かけても通じなかったり,やっとかかっても高速道路上を理由に断られたりで,結局最後は自分で勝手にタクシーを探せ,高速バスの乗り場まで何とかたどり着けと言われる始末。泣きそうになってるうちにもう積車が来てしまいました。


積車のおっちゃんに事情を話したら「いいよ,横に乗って行き。内緒やけどな。」と笑顔。
ああこの日,三人目の神様。

しかもこの神様,「今日走ってきたのは岡山かい,中山かい?(笑)」と全てお見通し。何でも若い頃にはサニーを改造してジムカーナやってたとか。いつぞやのタクシーの運転手さんと同じですね。

今昔のクルマ談義に,ジムカーナの話,仕事の話,家族の話なんかを楽しくしてるうち,あっという間に西宮名塩のSAに到着。本当に楽しかった。クルマの積載の時にはおっちゃんがデミ助に乗って動かしてくれたんですが,「バケットシートに座るんなんて何十年ぶりやろ」と喜んで下さいました。


某ロードサービスのおっちゃんに手を振って別れてから1時間ほど。最後にラスボスとでもいうべき一番の神様が積車に乗ってやってきて下さいました。しかも後に代車を積んで来て下さってる。ああ,ここでデミ助と入れ替えて,ここから直接自宅に帰れるんだ...何という気配り。

社長から本当に後光が射してるように見えました。ただ,積車の後にのったデミ助は,何となく不惑インテ号の最期の姿を思い出させるようで,見ていて本当に辛かった。


・・・・・・

西宮名塩のSAからオートマの代車に乗ってぼちぼち帰ります。

脳裏にはどうしても積車に乗ったデミ助の姿がちらちら浮かびます。胸が締め付けられるようになって,目には涙がにじんできます。

もう走るの止めようかな...

大事な愛車をあんな姿にして,いったい何が楽しいというのか。

優勝の楯や商品はもらったけど,愛車があんなことになってそれで喜べるのか。

それにもう十分走ったじゃないか。
ラジチャレのシリーズチャンピオンももらったし,もういいんじゃないの?

自分がいくら努力して速くなったって,横から突っ込んで来られたらどうしようもないじゃない。

今回の修理費用はいったいいくらになると思う? 開業医だからって決して金持ちじゃないんだよ。子供達も来年は受験だし,毎日地道に節約してお金貯めてるのに,こんなバカなことに何十万もつぎ込むつもり?

走るのを止める理由を数えたらいくらでも出てくる。
それにもう,これ以上辛い思いをしてまで走りたくない。


しかし...

ハーフウェイのMさんや,織さん,ロードサービスのおっちゃん,そしてファインアートの社長さんの笑顔もまた脳裏に浮かんできます。

走る上でお世話になった人たちはもっとたくさんいる。

自分は一人で走ってるんじゃない。人と人の間で,人に関わりながら走ってる。もちろん走る走らないを最終的に決めるのは自分だけど,こんな簡単に「止めます」でいいのか。

Mさんも織さんもいろいろ励ましてくれた。「また走ろう」と言ってくれた。ロードサービスのおっちゃんも「またがんばって走りや」と言ってくれた。社長にも「鈴鹿のクラブマンで走るか」と言ってもらった。

それに何より青いセダンに乗ってたみん友さんのためにこそ,ここで止めるわけにはいかないだろう。彼だって辛いはず。ここでおとーさんが走るのを止めてしまったら,彼はもうサーキットに戻って来れなくなるんじゃないか。


でも...やっぱりもう愛車を傷つけてまで走りたくない。

もうこれ以上お金を浪費できない。

いや,でも止めるわけにはいかない。

尽きることのない葛藤。


自分はあの瞬間いったいどうすべきだったのか。

あれは避けることのできるクラッシュだったのか。

本当に自分に落ち度はなかったのか,それともあったのか。

滅多にない偶然がたまたま3ヶ月内に2回重なったのか。それとも,このまま走っていれば遠からずまた同じようなことが起こる可能性が高いのか。

結局はそこに帰着します。


だからこそ,荷物を開けてカメラを取り出し,当日の車載動画を見るのが怖かった。見たくなかった。

でもいつまでも結論を延ばすわけにもいきません。




カメラからPCに車載動画を移し,ファイルを開けます。

2本目のスタート。明らかにオフィシャルがドタバタしてます。タイムスケジュールがタイト過ぎ,しかも最初に走るのが初心者の率も車種のばらつきも大きいおとーさん達のクラスなので,きちんと全員が並びきってないうちに先頭をスタートさせてます。そのために最後尾はかなり遅れてスタートしており,それでおとーさん達先頭グループがすぐに最後尾に追いついてしまう形になったのでしょう。

それにしてもひどい。アウトラップから計測ラップに入って半周もしないうちにもう最後尾のクルマに追いつき,その後も次々にバックマーカーが現れます。これじゃ1本目のタイム順にスタートさせる意味がない。

おとーさんは,動画を見る限り,周回遅れを慎重に慎重にパスしてます。決して思い切りよくインに飛び込んだりはしてません。

そして周回は3周目に入ります。運命の4周目に近づくにしたがって心臓がドキドキしてきます。


しかし,何と...

動画はメモリ切れで3周目の途中で終わっていました。




結局,今回のクラッシュがどのくらい不可抗力だったか,知る術はありませんでした。

でもこれで良かったんだと思います。

避けることができたか,できなかったか...そのどちらであったとしても,やっぱりおとーさんは走り続けると思います。


だってね,久々に走行動画を見てると,また走りたくなってきたんですよ。

正直,もうMFCTで岡山は走りたくないなと思いますが,セントラルのラジチャレやG6ジムカーナなんかはやっぱり走りたい。これで終わりにはなりたくない。

一人で走ってるなら,こんなに迷わず止めてるでしょう。でも今の自分にとって走る魅力は「人と人の間で走ること」。周りに人がいる限り,自分だけ簡単に止めるわけにはいかないっしょ。


遠くで除夜の鐘が鳴ってます。

サーキットを走りまくった1年が静かに暮れて行きます。

結局,また,走るんだな。そんな結論を胸に新しい年を迎えます。


みなさま,1年間ありがとうございました。来年も,結局また走りますので(笑),どうぞよろしくお願いします。



前のDiaryへ前のDiary | PAGE TOPへPAGE TOP | 次のDiaryへ次のDiary