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夜空に輝く星 〜地区戦第5戦〜


ちょうど今から2週間前の夜。時は深夜2時50分ごろ。
ぐっすり寝ているおとーさんの枕元で携帯の着信音がけたたましく鳴り響きました。

最初はてっきり目覚ましアラームの誤設定かと思いました。何でまたこんな時間に鳴るような設定にしちゃったんだろう。「チッ」と舌打ちしながらボタンをでたらめにいくつか押してるうちに着信音は止まります。やっと静かになった携帯を枕元に放り投げ,ふとんをかぶり直してもう一度夢路につこうとしましたが...

30秒もしないうちにまた携帯がなります。

??????

あっ! これ本当の着信だ! 出なきゃ。電話に出なきゃ。

番号は知らない番号。相手は若い女性の声。

「夜分大変遅くにすいません。私○○病院の看護師で○○という者です。ご入院中のお父様のことで至急ご連絡したいことがあってお電話させていただきました...」

あっ! 親父の入院してる病院からだ!

瞬時にガバッと布団の上に起き上がります。隣の嫁様も眠たい目をこすりながら「何?」と起き上がります。


2年前に胃がんで胃を全摘し,体重が以前の半分ぐらいにやせ細ってしまった今年80歳のウチの親父は,長年の高血圧のせいで腎不全も併発しており,昨年ごろからちょっとしたことでも体調を崩して近所の病院に入院することを繰り返していて,この時も腹痛のために前日から入院中でした。

ただ,前日見舞いに行った弟からは「入院後の容態は落ち着いてる」と聞いていましたし,その2-3日前に偶然おとーさんが実家に行った時には「5月の連休,久々に山に行ってきたわ。秋にはまた行くつもりやし」と言ってたぐらい元気は元気でした。

しかし案の定,病院からの深夜の電話は急変の知らせでした。

看護師さん,最初は実家の母親に何回もかけたけど,バカ母はぐっすり寝入ってしまっているらしく全然電話に出なかったので,仕方なく第2連絡先のおとーさんの携帯にかけたらしい。「大至急病院に来てくれ」とのこと。


「まさかこんな急に」という気持ちと,「ああ,やっぱりこの時が来たか」という気持ちが相半ば。とりあえずデミ助に乗り込んで,10分ほどで隣町の小さな総合病院に駆けつけます。

案内されて病院内の小さなICUに行くと,当直医の先生が汗を流しながら心臓マッサージをしてくれています。口からは挿管チューブが入っていて,呼吸は既に人工呼吸器に預けた状態。ああ,やっぱり。予測通りの光景です。

おとーさんも病院勤め。
自分自身が当直をしていてこういう場面に何度も遭遇しています。

人はこういう状態になってしまえば,まず助かりません。というか,これはもう既に亡くなっていると言ってもいい状態。


当直医の先生にもうあと10分間だけがんばってもらって,実家の母親と近所に住む弟に何度も電話をかけますが,時間が時間だけに全く出ない。いや,おとーさん自身も鳴り響く携帯をアラームの誤作動かと思いましたからね。この時間じゃしょうがない。

自分も同業者であることを告げ,心電図モニターの波形や人工呼吸器の設定などを見せてもらいます。心臓はもう全く動いてませんし自発呼吸も止まってます。対光反射も見せてもらいましたが,反応は全くなく既に瞳孔が開いています。やはりもう既に亡くなっている状態。いくら心臓マッサージをしてもらっても,もう意味はありません。

当直医の先生に「ありがとうございました。もう結構です。」と伝え,無駄な蘇生を止めてもらいました。3時20分。長男として,一人の医師として,親父の最期を看取りました。


その後だいぶ時間が経って,やっと連絡のついた弟や実家の母親が遅ればせながら駆けつけ,お約束の愁嘆場に。こんな時間ながら主治医の先生も出てきて下さり(お疲れ様です)昨日からの状況を改めてうかがいました。突然の急変の原因にはよく分からない点もありましたが,これまで長い間ワガママなウチのクソ親父につき合って下さり,今回も空きベッドのないところを無理やり入院させていただいた主治医の先生です。ありがたく礼を言って親父の亡骸と共に病院を辞しました。

さあ,そこからが大変です。葬儀社だの親戚だのあちこちに連絡をして通夜と葬式の段取りをしなければなりません。自分がもうあまり永くない可能性を感していたのでしょう,胃がんの手術の後,親父は長男であるおとーさんを呼んで葬儀のことや後の処理のことを伝え「何かあったらお前が喪主として後を全て仕切ってくれ,皆をまとめてくれ」と言い伝えていました。親父はクリスチャンなのでお寺ではなく行きつけの教会に連絡をして牧師さんに来てもらわないといけません。オ,オレが全部やるのか?(汗)


...しかし通夜と葬式はあっという間でした。
気がついたらもうお骨を抱えて実家に帰ってきてました。


・・・・・・

自分が親の葬式で泣くとは思ってませんでした。実際,通夜や葬式の間も一族の惣領として気を張って動き回ってましたし,どちらかというと周囲の雰囲気が沈み込まないように努めて明るく振舞ってました。ところが最後の喪主の挨拶の時だけは...明るくユーモラスにクソ親父を送る言葉を述べようと思ってましたが,何度も涙で声が詰まってしまい,泣き笑いの入り混じった何とも奇妙な挨拶になってしまいました。


父親がいなくなるということがこんなにも寂しいことだとは想像もしてませんでした。

若い時には親父に強い反発を感じてましたし,家出をしたこともありました。大学の学費を払ってもらうのがイヤで,必死でバイトをして自分で払いましたし,結婚してからも何度もケンカして2-3年間全く実家に連絡をしなかった時期がありました。おとーさんは実際親父によく似ているのですが,その頃は「お父さんに似てるね」と言われるのが死ぬほどイヤでした。


しかし自分も息子を持つ父親になり,人生の様々な局面を通り抜け,ふと振り返ると後を追うが如く自分も親父と同じような人生を歩んできていることに気がつきました。

小さい頃からマニアックなことに興味を持ち,長じては研究者としてあまり人のやらない研究に熱を上げ,苦労して海外留学までするもののやはり誰にも相手にされず,結局研究者としての人生を諦め実務者として家族を養い,その傍らで自分の趣味の世界を追求し下らない駄文を書いては周囲を辟易させる...全く同じじゃん,おとーさんも(笑)。


夜空の片隅で輝き続け,おとーさんにオトコとして,父親として,歩むべき方向を示し続けてきてくれた1等星...いや2等星でいいや(笑),でもその星がなくなることで星座も形が変わってしまい空全体の様相が変わってしまうようなそんな大事な星...

おとーさんが失くしたモノは,思っていたよりもずっと大きなモノでした。


・・・・・・

親父が亡くなったのは近畿地区戦第5戦の申し込みをした直後でした。
なんちゅータイミングの悪いジジイじゃ。やっぱクソ親父に違いない(笑)。

当初はもちろん欠場するつもりでした。だってまだ実家の様々な処理が残ってますし,モチベーションとかそういう問題ではないぐらい気抜けしてしまってる。とても競技走行なんてできる状態じゃない。タイムがどうとか,勝ち負けがどうとか,そんな気持ちに全くなれない。


...しかしやはりクソ親父の息子はクソ息子。次の週になり受理書が送られてきて,エントラントリストが発表されると,ふつふつと走る気が沸いて来る。お,おい,走るのか?


幸い親父はクリスチャン。忌が明けるとか喪中がどうとか,うるさい規制は何もない。いや,あるのかもしれないがおとーさんのような似非クリスチャンからはそんなのどうでもいい。ちゃんと故人を偲び想う気持ちがあればいいだろ,そんなの。

それに徹底的な趣味人だったウチのクソ親父ならきっと分かってくれるだろ,この気持ち。きっと「気にせんと行って来い」と言ってくれるだろう。

ということで,my嫁さんにも弟にも母親にも呆れられましたが,前日の土曜日に7日祭(初七日みたいなモン?)だけ済ませてもらい,地区戦には予定通り出場することにしました。


当日の朝一番は小降りながらまだしっかり雨が降っており,午後から雨が止むかな,どうかな,という終日ウェットの予感でしたが,準備をするうちに雨は上がってしまい,車検や短い試走に出る頃にはわずかに青空も出てきました。


※右隣は白デミさん,左隣はY木センセのNSX


コースは何と4月にここで行なわれた全日本と途中まで同じ。何でも全日本の際にウェット用に準備されてたコースらしい。おとーさんが燃えるZ字や超高速外周コーナリングはカットされてますが,その分オニギリ回りなどいかにも名阪Cコースらしいコッテリしたコースになってます。


※画像をクリックすると大きい画像を表示します(画像は部会のサイトから拝借しました)


しかしここで残念なことに,おとーさんの永遠のライバル,ライムM君が熱を出して寝込んでいるため本日は欠場というニュースが入ってきました。これでN1.5クラスは出場4台になってしまい,今回も,JMRC近畿チャンピオンシリーズとしては成立するものの,JAF近畿地区戦としては「不成立」(勝ってもシリーズポイントがつかない)ということになってしまいました。

親父が亡くなって10日後,最大のライバルは欠場,そして地区戦不成立...

何だかとってもトホホな気分です。
10日間の疲れがここに来てドッと出てきたカンジ。

クラブのももさんに「何だか魂が抜けたみたいな顔してるよ」と鋭く指摘されました。親父が亡くなったことは誰にも話してなかったんですがね。やっぱ分かる人には分かるんですね。


しかし,しかし。

何度も書いている通り秋から無期限の活動休止に入る予定のおとーさんにとって,今シーズン走ることができるのは今日のこの第5戦と,あともう1戦走らせてもらえるかどうか。ライバルがいようがいまいが,どうしたってこの1戦は全力で勝ちに行かないといけません。

そして親父の亡くなった10日後のレース。これは弔い合戦です。

夜空から消えてしまった2等星。でも,もう道しるべがなくても立派な趣味人のクソ息子として一人で歩んで行けることを元祖クソ親父に示してやらなければなりません。それが何よりも親父の供養になるでしょう。

それに,ライムM君の欠場のニュースと,おとーさんの何やら腑抜けた表情を見て,最近めきめき速さを身につけミドル戦で勝ちまくってるスイフト乗りみっちゃんの目が(☆∀☆)キラーンと輝いています。コルト乗りとのちゃんもこのコースを見て全日本の雪辱を果たすべく燃えているはず。今回十数年ぶりに公式戦に復帰される白デミさんも虎視眈々と上位を狙っているでしょう。

アカン。これではアカン。

絶対に負けられん。絶対に勝たなアカン。
ここでヘナヘナ負けるようじゃ,クソ親父も成仏できんやろ。

見てろクソ親父。お前の息子の必死の走りを。そんでちゃんと成仏せえよ。


...あっそうか,ウチの親父はクリスチャンなんだったな。「成仏」とかそういう概念ないな。
まっ,いいか(笑)。


・・・・・・

結局はほとんどピーカンのお天気になり,路面温度も38℃まで上がったところで1本目の走行を迎えます。もちろん路面はほとんどドライ。もう雨は降らなさそうですが,それでもここはお天気が急変することで有名な魔の地。2本目でウェットになることもあり得るため,1本目でとりあえず無難なタイムを残しに行かないといけません。力の入れ具合は90〜95%ってとこか。


全日本と同じ位置のスタートラインにつくとスターターのお兄ちゃんまで全日本の時と同じ人で(笑),あの時と同じようにキビキビと動いておられます。

スタートはややホイールスピン多めでスタート。イトウ工業から三日月を回るところは思い切って突っ込みますが,ややアンダー風味になりステアとスロットルで修正しながらクリア。

小さい島を左に回るところはサイドが不発でやや大回り。

そして次の左270度...うう〜っ! またしても突っ込み過ぎでターン失敗。
いったいいつまでこんなことやってるんだか...

気を取り直して大きな島の左回りに入りますが,ここもやや突っ込み過ぎ。しかしアンダーを出したまま無理に大回りするより,いったんスロットルを抜いても小回りにした方がタイムを稼げるかと考え,修正しながらの旋回。

島を抜けてオニギリを折り返し,すぐにまたオニギリの頂点でインフィールドに入り,オニギリをぐるっと左に1周巻く形でS字方面に。だいたい狙った通りのラインを走ってますがビミョーにぬるい。自分でも走ってて分かるぬるさ。攻めきってません。

旧・最終コーナーをターンしてストレートを立ち上がる。ギリギリ2速が吹け切ったところで右に折れて再度インフィールドに突入。このあたりはまあまあ無難な仕上がり。

そしてもう一度オニギリの頂点で外周に出て,あとはコース右半分の外周をぐるっと回ってきて最後にパイロンを一つひっかけるだけ。このあたりは4月の全日本と同じレイアウトですね。

後半でタイヤがタレるかと思ってましたが,全日本の時よりタイヤのグリップ変化は少ない感じで最後まで走りきりゴール!

タイムは2位のとのちゃんに1.5秒の大差をつけての1位ですが...この走りはダメ。またしてもターンで下らない失敗をしてるし,全体的にもぬるいぬるい。もしライムM君が走ってたら,間違いなく負けてるでしょう。

2本目に向けて,最初のセクションの270度ターンを何が何でも成功させること,島回りをコンパクトに精度の高い走りで,オニギリ回りをもっと積極的に攻めること,これらが課題。たとえタイムで勝ってても,きっちり納得できる走りでなければ,天国のクソ親父に笑われそうです。


・・・・・・

ところがお昼ごろからまた空模様がビミョーに。
時々強く吹く風がどこからかグレーの雲を運んできて,青空を徐々に隠して行きます。
空からポツリと落ちてくる小さな水滴に,誰もが上を仰ぎ「えっ? また降るの?」という表情。

勝ち負けだけで言えば,ここでザーッと降ってきて路面がウェットになってしまえば,1本目のタイムでおとーさんが逃げ切り優勝。しかしそんなんじゃ親父の供養にもなりゃしねえし自分も絶対に納得できない。きっちり走って,ターンを決めて,タイムを1秒上げる。絶対に。

降るな雨。降ってくれるな。


しかし,いったい誰の日頃の行いか,N1からN1.5クラスの出走にかけて,空から落ちてくる小さな水滴の数は徐々に増え,出走待ちの列でオートワイパーが作動し始めます。白っぽく乾いていた路面の色も少しずつ黒っぽくなっていきます。

頼む。降るな。降るな雨。

頼む,親父。聞こえるか,親父。
この雨止めてくれ。

もう1本きちんと走るから。頼むからこの雨止めてくれ。
男の意地なんや。もう1本だけちゃんと走らせてくれ。


...時々世の中には不思議なことが起こります。

親父に祈りながらおとーさんが2本目のスタートを切った途端,オートワイパーが作動するほどの降り方だった雨がすーっと止まりました。車載動画でも,最初のターンセクションを過ぎたところでワイパーが完全に止まったことがお分かりと思います。




いつものように「よし行け!」と大声を出して走り始めます。
路面はわずかにウェットになってますが,まだ十分グリップします。

イトウ工業から三日月を回り,小さい島を回り,そして270度ターン...

えいやっ!

回った!

まだパイロンから若干離れてはいるけど,失速しないでキレイに回った。

見たかクソ親父! お前の息子は根性見せたぞ!


次の島回りも突っ込み過ぎず上手に進入。一定のスロットル,一定の舵角で小さくコンパクトに旋回成功。よーし! ええぞ!

オニギリも積極的にリアを動かし姿勢を変えて,前にタイヤを転がしながら旋回します。

S字の縁石に乗り過ぎて車体が跳ね,ストレートへの折り返しが若干大回りになりますが気にせずに踏む踏む。路面はちゃんとグリップしてます。

インフィールドへ折れる手前できっちり2速を吹け切らせ,オニギリの頂点に出て,その後はS字をもちろんノーブレーキで車体をばっこんばっこん言わせながら駆け抜ける。

このあたりはおとーさんの得意の部分。紛れもない全日本ウィナーの走りだ。
きっと今,1500ccのコンパクトカーに乗ってラジアルタイヤでここを走らせればおとーさんが日本一速いはず。

最後に右奥のヘアピンを抜け,パイロンを一つ引っかけてゴール!


ぜいぜいぜい...息が切れてます。

どうだ,見たかクソ親父! お前の息子はちゃんと走ったぞ。
誰にも真似のできない日本一のブチ切れた峠走りだ。
見たか? ちゃんと見てくれたか?
クソ親父の息子は,日本一のクソ息子だぞ! 天国でいっぱい自慢してくれ。

涙が...ヘルメットの奥で涙が出てきます。


ハーフウェットになりかかったややこしい路面でしたが,何故か途中で雨が降り止んだため,ドライセッティングのままで走り切ることができ,目標だった約1秒のタイムアップをきっちり果たしました。2位を1.6秒ちぎる文句なしのトップタイムです。これならライムM君がいても勝てたかな,どうかな。


※撮影:ももさん(いつも本当にSpecial thanks!です)


・・・・・・

「お父さんに似てるね」そう言われると意地になって否定してたおとーさんですが,今は笑って「そうかい」と言えるようになりました。


おとーさんが一生懸命何かをやってても「ふふん」とバカにしたように笑うクソ親父。

小さい子供のおとーさんがベソかきながら必死に小走りで後を追いかけてても,振り返りもしないで山道を早足でずんずん歩いていくクソ親父。

時々山へ連れて行ってくれる以外には,日曜日も囲碁や読書ばっかりでちっとも子供の相手をしてくれなかった趣味人のクソ親父。

にっくき憎きクソ親父でしたが,おとーさんはいつもこの父親に憧れていて,振り向いてもらいたい,褒めてもらいたい,自慢の息子になりたい,そう思って後をついて歩いていたように思います。大人になってからも,ずっと。


夜空の片隅でずっと輝き続けてきたその星はもうありません。

でもおとーさんはもう方向を間違えることはありません。

ベソはかかずに歩いていきます。クソ親父への道を。

おとーさんの後にはもう息子がついて来てますから。

おとーさん自身が夜空の星になって息子に方向を指し示してやらないといけませんから。


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