home > diary menu > 2004年 > 12月23日

ライセンスの行方


みなさんご存知の通り,モータースポーツの公式競技に出場するためにはライセンスが必要。これには国内A・B,国際A・B・C他いろいろな等級があるわけですが...


おとーさんが参加してる「ジムカーナ」は,1台ずつ順番にコースを走ってそのタイムを競う競技ですので,狭義の「レース」,つまり何台かでいっせいにヨーイ・ドンでスタートし抜きつ抜かれつで順位を競う競技とは違い,必要とされるライセンスは最も初歩的な「国内B級ライセンス」,略して「Bライ」というやつでOKです。


今から約10年前,おとーさんは「近畿地区ジムカーナ選手権ジュニアシリーズ」(現在の「ミドル戦」)という公式競技に出てましたから,もちろんBライを持っておりました。


現・嫁さんと結婚が決まって競技を引退する際,いつか復帰できる日のためにライセンスはキープしておきたかったんですが,当時はライセンスを更新するためには(1年ごとに更新)公認クラブのハンコが必要。しかもおとーさんが当時在籍していたクラブは,ほとんど競技に出る者がいなくなってすでに休止状態。

引退が決まってるのにライセンスの更新のためだけに別のクラブに入るのも失礼なので,結局ライセンスの更新はしませんでした。つまりおとーさんのライセンスは1994年度のままで凍結・失効してたわけ。


1994年度のそのライセンスは,結局おとーさんの机の引き出しの中で眠り続け,時々何か探しもので引き出しをゴソゴソひっかき回してる時とかにポロっと出てきたりすると,あの熱き日々の想い出がかすかなタイヤの焦げるニオイとともに蘇ってきたものです...(遠い目)。


...まあ,それはおいといて。話は来年のこと。

当然ながらこの古いライセンスは失効しててもう使い物にならないので,来年度の競技に出るには新しいライセンスが必要です。つまりとり直し。と言っても,Bライをとるのは実はすごく簡単。ライセンス講習会なるものに出席して2時間ほどの講義を受け,あとはお金を払ってJAFに申請するだけ。


・・・・・・


ということで行ってきました。Bライ講習会。


仕事帰りに寄り道して参加するつもりだったので,なるべく地元で開催される講習会に参加したかったんですが,今回大阪で開催される分は中止!とのことで,仕方なくお隣の奈良で開催される講習会に行ってきました。昔は京都でも開催されていたし,もっとあちこちでやっていたように思うのですが...


講習会の会場は某ショップの中。行ってみると今回の受講者はたったの3名

お,おいおい,これだけかよ Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) って感じで(汗)。

だって,昔は教室みたいなところに20人ぐらい受講者がいたぞ。しかもそいつらがいかにも

さあ,レースやるぞ〜〜!!!(`・ω・´)

ってな感じのオーラをメラメラ出してて,かなーり緊張したのを覚えてるぞ...それがたったの3人ですから。


さらに「さあ,始めましょうか」って言われて座ったのはショップの片隅のただのテーブル。講師の先生とともに4人でテーブルを囲みます。う〜ん,すごいアットホーム。缶コーヒーまで出してくれるし。

なんつーか,「講習会」と言うより「座談会」みたいな感じ(笑)。


おとーさん以外のお二人は,これからヴィッツレースに出場する予定という元気そうなお姉ちゃんと,何とロマンスグレーの素敵な年配のオジサマ。何でも,若い頃からずっとモータースポーツをやりたいやりたいと思っていたが仕事が忙しくてどうしてもできず,定年になったのを機に思い切ってEK9を購入,これからモータースポーツを始めようとライセンス講習に参加したとのこと。おおお!ダンディズムやねえ。


おとーさん自身も,不惑の年齢を迎えて10年以上ぶりに競技に復帰しようという身ですから,かなり平均年齢高いですな,今回の座談会(笑)。昔の熱気ムンムンの講習会とはかなり雰囲気違います。クルマ好きの家族がお茶飲みながらレースの話してるみたいな(笑)。やや枯れ気味の雰囲気(笑)。


ということで,あっというまに1時間半ほどの講習が終わりました。申請書もその場で出してきたので,後はライセンスが届くのを待つだけです。


今回の講習でもらった資料の中に面白いデータがありました。1963年から2003年までの間のライセンス所持者数,競技会の開催件数,参加台数の平均とか。


見ていると,やはり全国のモータースポーツライセンス所持者数は1992年がピークで,その後は年々減少の一途をたどり,2003年はピーク時の3分の2ほどに減ってます。Bライに限ると所持者数は1992年のピーク時のほぼ半分に減ってます。おとーさんが以前ライセンスをとったのはちょうど1992年。ちょうど一番バブリーな時代だったわけですねぇ。


ジムカーナの公認競技会開催件数も1993年がピーク。その後どんどん減り続けて,最近ではピーク時のほぼ半分。競技会あたりの参加台数の平均も1990-1991年がピークで,現在はほぼ半分。

おとーさんがメインで出てたシリーズ戦は土曜日に行われてましたし,当時は土・日フルに名阪SLのコース占有が埋まってました。参加台数もハンパじゃなかったなぁ。おとーさんが出てたA3クラスでも40台超えてることがあったし,A2クラスなんて常時50台超えてましたね。A1クラスのシティの行列なんて,そりゃもう見ものでしたよ〜(笑)。


つまり,日本のモータースポーツって,高度経済成長の波に乗って徐々に盛んになり,一時オイルショックなどで盛り下がるも次第に盛り返しバブルに向けて急成長,F1ブームでとうとう頂点,と思いきや,バブルがはじけた途端にしぼみ始め,その後もどんどんしぼみ続けて現在は何と20-30年前の水準まで退化,っていうそんな流れになってるっぽい。


ヤ,ヤヴァイんじゃないの,これ ((((゜Д゜;))))

こ,このまま退化しちまうのか?日本のモータースポーツ 。・゚・(つД`)・゚・。


そんなわけないよね。


だって,おとーさんみたいに懲りずに復帰するおヴァカもいるし。

座談会で一緒になったオジサマみたいに,定年後に初めてライセンスとっちゃうしるばーレーサーだっているし。


これを読んでいるおじーちゃん,おばーちゃん。
おとーさん,おかーさん。


日本のモータースポーツの火を途絶えさせないためにも


走りませう。


もう若い者は頼れません。
次代のモータースポーツを担うのは我々中高年です。
おとーさんは決めてます。ジジイになっても走るぞ。


その頃には名阪SLにも「シルバー専用コース」が作られてたり(笑)。
レカロからも高齢者用バケットが発売されてたり。もちろん名前は「シルバーシート」(爆)。



※今回の内容は「2004年JAFモータースポーツ・イヤーブック」(日本自動車連盟,2004年)を参照してます。



前のDiaryへ前のDiary | PAGE TOPへPAGE TOP | 次のDiaryへ次のDiary